ああっ、もう!

 部屋に植物があるとよいな、とここしばらくぼんやりと思っていた。ミリオンバンブー(あるいは幸運竹、開運竹、 富貴竹、ラッキーバンブー。学名、ドラセナ・サンデリアナ)なるものは、水につけておくだけで根を生やし、青々とした葉を保つことができるということを小耳に挟んだので、それはいいな、と。
 夕立を気にしながら、重たい空気の中をロフトへ出向く。入り口すぐの花屋で、三種類ある内の真ん中のサイズに目星をつけ、その足で食器売り場へ。買うべきは入れ物たるべき一個のグラスであった。だが、エスカレーターを降りたすぐ目の前で、食器のバーゲンが開催されていた。
 我が家の食器のバリエーションは、かなり乏しい。見かねて、皿をくれた友人が二人もいる。基本的に一人の食事には、さほど数は必要じゃない。茶碗とお椀、あとは丼に、小鉢のようなものがいくつかあれば食事のみならず、一時的に冷蔵庫に入る食料の保存にも支障はない。
 必要がないから買わないというのも確かに一つなのだが、もう一つの大きな理由は身軽さを保っておくためである。何かのときに、ひょいっと住処を移せるようにしておくことを、僕は大切なことだと定義している。衣服のように、ある程度の社会生活を送る以上はそう単純に簡易化することができないものもあるが、例えば食器類だとか、部屋を彩る小物だとか雑貨といったものは、極力入手することを避けてきた。
 だけど、ミリオンバンブーを買おうとロフトに来た時点で、その決意には蟻の一穴が穿たれていたのかもしれない。そしてとりどりの安価な皿たちの前で、あっけなくそれは崩壊した。
 結果として、食器棚にはちょっとしたサラダなぞを盛るのにちょうどよいくらいの容量の濃青の鉢と、おかずにもなるくらいの具だくさんのスープがふさわしい、ざらっとした素朴に白い鉢、それに刺身の取り皿にと思って買った水色の小さな角皿が加わった。
 所期の目的も当然ながら達成された。この間まではiMacを置いていた机の片隅のミリオンバンブー。表面がゆらゆらと曲線を描く薄水色のガラスのコップの底に、園芸用の表面が曇った小石状の青と白のガラスを敷き、そこからアスパラガス程度の緑色の茎が生え、先端にはバターナイフのような形をした葉が二枚しゃんと伸びている。
 問題は、僕がこうやって家を充実させ、ちょっとしたもので部屋の雰囲気を飾るということが、決して嫌いではなく、むしろ好意的な興味を持っているということにある。穏やかならぬ心中の「ああっ、もう!」という声には、「いらんもん買ってしまった」という少しの後悔と「やっぱ、いい感じやな」という満足感が分かつことができないくらいに入り混じってしまっている。しかも、このジレンマにあることそのものが愉快であるという、そこからさらに一歩引いた構図すら存在する。


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