閉庵
あじぁもじゃ庵というお店が、かつてあった。
最寄りの地下鉄の駅から二、三分歩くだけで、数十年昔へ入り込んだように錯覚する町並み。軒先には植木鉢が飾られ、往来に面した壁には防犯を呼びかける手書きのポスターと大衆演劇の公演の告知とが並ぶ。道行く人には高齢者が目立つ。
かなりの時間を営業してきただろう寿司屋や銭湯や食堂は、これから先はそう長くもたないだろうという、どうしようもない寂しさを漂わせている。鋭い金属音に頭上を見上げると、数分後の空港を目指す飛行機が低空を飛行している。
そんな古ぼけた住宅街に、唐突に出現する派手な色使いの看板を掲げた一軒のアジア料理屋。
店内の装飾は、アジア映画俳優の写真や航空会社のポスターを始めとして、輝く色を用いて三次元的にカオスが配置されているけれど、全体の照明はどちらかと言うと控えめだ。会話がやむと、アジアンポップスなんかが流れていた。ありがちな「アジアらしさ」の演出ではなくて、店内の混乱の中に身を置いていると、アジアのどこかの軒先でだらだらと時間を過ごしているあの感じを本当に得ることができた。そこにある空気は「らしさ」、ではなく、そのものだった。
各国のビールの品揃えが特に豊富で、シンハ(タイ)やサンミゲル(フィリピン)は言うに及ばず、ビアラオ(ラオス)、ミャンマービール、アンコールビール(カンボジア)なども店主の趣味と情熱とによって冷蔵ケースに冷やされていた。
店主と知り合ったときには、僕は学生で彼女は駐車場のレシートの紙を営業をするサラリーウーマンだった。彼女が主幹として発行していたアジア情報のミニコミ誌に興味を持ったのがきっかけだ。少しだけ編集作業を手伝ったり、一度だけ記事を書いたりしたことがある。
会社を辞めた彼女が、修行期間を経て店を開くことになった。店の名は、そのミニコミ誌「あじぁもじゃ」からとった「あじぁもじゃ庵」。
2年半ほどの間に、それほど足繁くというほどではないにせよ、よく通った。友達を連れて行くときもあれば、どうしようもない暇な週末に昼間っから酒を飲みに一人で出かけたこともよくあった。
いくつかの理由によって店が閉じられた翌日に、内々の閉店パーティーがあって、お招きをいただいた。そこにいる十数人は(それぞれは初対面、という関係が多かった)「次は怪しげな会員制にしよう」だとか「流通ルートは残しておいて、アジアビールの共同購入をしよう」などと口々に好き勝手なことを楽しげに語った。
店をやりたいという気持ちが自分にあるのならまたやると思う。この言葉に続けて、それは遠くないことであろうと店主は語っていた。
「あじぁもじゃ庵という、よいお店があったんです」
旅の途上、これまでたどってきた気に入りの場所を伝えるように、こう語り始めよう。すると、これから行く先に、ビールのよく冷えた小さな店が再び待ち構えているんじゃないかという気がする。
店主に、乾杯。
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