いかなご好きです

 冬がなかったのだろうか。例年よりずっと早い桜の開花。枝の先ほどには既に花がちらほら開いている。僕が暮らすマンションの駐車場に植えられた一本だけは、既に満開を過ぎ、花びらが強風に舞っていた。
 春分の日の夜。買い物に出かけたコープの酒売り場で、ヱビスとハイネケンをまとめ買い。ここ最近はずっと冷蔵庫に金と緑の缶を並べている。と、唐突にその味が懐かしくなって、暖かな空気に促されるようにオリオンを一本カゴに入れる。さほどに美味しいと思うわけではないけれど沖縄の空気を味わいたくて。
 この季節にはこれを食べる、というものがある。今の時期に外せないのが、いかなごの釘煮。体調数センチの新子を、生姜をきかせて、さっとつくだ煮にしたもの。僕の知る限りでは、播磨から神戸の東灘辺りまでで主に作られ消費されている。(少しだけ調べてみたが、どうも明石が中心地のような感じだ)
 そもそもつくだ煮全般が得意な方ではない。甘くてしょっぱくて固くて、何を食べても似たような味で敢えて食べるほどのものじゃないと思ってる。だが、いかなごだけは例外で、この時期は釘煮を食べないことには居ても立ってもいられない。決して多くを一時に食べる類のものではないと思うのだが、食べ始めると箸が止まらない。
 漁が解禁になるや、スーパーの店頭にはその朝に水揚げされた新子と共に、ザラメやタッパーや作り方を記した冊子や、さらには鍋までが同じ売り場に並べられる。
 僕は自分で煮たことはないし、作ろうとも思わないのだが、それはとても単純な理由で、美味しく煮たものを下さるありがたい方がいるからだ。高校生まで暮らしていた実家でも、そう言えばいつの間にかどこからかのいただきものがあったし、それは一人で暮らす現在でも変わらない。
 いや、正直に言っておこう。最近は、「いかなご、めっちゃ好きやねん。ちょうだい」と憚ることなく、いかなご地域の人にせっついているのだ。
 と、いうわけで、今年もちゃんといただいた。ありがたい、ありがたい。供給源の方によると、その近所ではこの時期いかなごを炊く匂いが漂っていて、あちこちからもらうから持てあますほど、ということだ。僕はそのおこぼれにあずかっているわけだ。
 炊きたてのご飯にのっけて、からめられた飴状のたれがとろりととろけた状態でご飯ごとかきこむのもよい。ビールに合うのは言うまでもない。けれど、何より、日本酒のあてにするのが最高。
 来週の週末に、東京から友人が桜を愛でにやって来る。メールでのやりとりの中で、「酔鯨」という高知の酒を先に送っとく、と言われた。桜を見上げながらのいかなごと日本酒はさぞや美味いことだろう。「鯨」と「いかなご」という大小の取り合わせも愉快だ。ただ、唯一の心配なこと。果たして、桜もいかなごも、あと1週間を乗り切ることができるのだろうか。


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