嵐の中で

 大学生活の終了を目前にして、はじめての体験をした。通訳だ。
 アルバイト先の番組制作会社にイギリス人がやってきた。番組の編集を仕切る彼と、機器を操作する人々との間で意思の疎通のお手伝いである。当初の二日間は通訳の人がいたのだが、予定を大幅に超過して三日目に突入した時点で、急遽その場でマックを扱っていた僕にお鉢がまわってきた。
 どうせ徹夜だろうから、時給制で雇われている僕としては長ければ長いほどありがたいと思った。が、本当に長かった。夜中の11時から翌日の夕方4時まで。不眠不休。
 僕は初日の夜は家に帰ったからまだよいようなものの、あとの人々はほとんど二晩徹夜。日光の射さない編集室で、数台のモニタと巨大なコンソールにまとまった編集機器を相手にして、そこは修羅場というより他になかった。
 英語を話す相手が旅で知り合った人なら、大体会話の内容は見通しがつく。「出身はどこだ、この国は好きか、どこの町がよかったか」。あるいは、恋人との共通語が英語しかなかった場合、それはそれで、瞳を見つめて「I love you.」ですむ。
 けれど、これは違う。双方ともに仕事であり、適当ではすまない。
 どちらか一方から言われた内容を、単に僕が理解しているだけでは全く意味をなさず、言語を変換した上でもう一方に伝えなくてはならない。後から考えると誤訳も多々あったのだが、なんとかかんとか周りの人も多大な嵐に巻き込みながら(彼の名字はなんとGoldstormと言った)本編の仕事自体は終了した。すでに昼前だった。
 しかし僕にとって苦難の時間はそこから始まったと言ってもよい。編集をやっている合間なら「このアングルのカメラで」「スローはこれくらいのタイミングで」「はい巻き戻し」などと、限定された発話が多かったから、その流れさえつかめばさほど難しいことはなかった。
 結局いちばん、僕にとっても彼ゴールドストーム氏にとって、彼と働いたプロダクションの人にとっても、最大の問題は「果たしてロンドンへ帰れるのだろうか」ということだった。あまりに無茶なスケジュールが設定されていたため、大方の予想を裏切ることなく、作業が終了した時点で、予定していた飛行機はとっくにロンドンへ向かって飛び立ってしまっていた。
 彼は、その番組制作をそもそも手配した会社、あるいはJALの窓口などに電話をかけ、方策を求めた。そして、その間僕は変化する状況を周囲の人に伝え、なぜ編集のテープはあがったのに彼は身動きがとれないのか、そしてどのような暗い見通しであるのかを伝えた。しかし、状況は極めて突発的かつ流動的であった。訳すべき事柄は時事刻々と変化していく。
 彼も寝ていないが僕も寝ていない。夜通しガムをかみ、コーヒーをあおり、コンビニのパンをかじり、その上で普段使わない神経を総動員。楽ではなかった。
 帰国の算段と、最終的な段取りが整った時点で僕の役目は終了。歩いていても足が地に着いていないような浮遊感にくるまれて、会社をあとにした。こういうことをしたのだから、自分は疲労困憊しているのだろうという奇妙に客観的な疲労感だった。
 残念ながら、そのまま家に帰って布団に倒れ込むことはできなかった。どうしてもその日の内に、研究室で片づけるべき用事があったのだ。
 駅の近くの吉野屋で牛丼を腹におさめた。熱いお茶をすすりながら、身体と精神の力を抜いていると、何やら後ろの席で「ミディアム、ラージ?」と英語が耳に入った。振り向くと、外国人の客相手に店員が説明しているのだった。逃げるように、勘定をして店を出た。


戻る 目次 進む

トップページ