青春18きっぷ

 JRが発売している切符の一つに「青春18きっぷ」というものがある。
 丸一日、特急や急行を除いた路線が乗り放題になる。それで、2000円とちょっとなのだ。金はなくとも時間だけはあり余っている人間には、これほどありがたい移動の手段はない。ただ、以前は5枚綴りで発売されていたので、大学生協ではそれをばらで買うことができ、日程に合わせて無駄なく利用できた。ところが、ここ数年JRが売り方を変えてきて、一枚に五回改札印を押せるようにしてしまった。これだと利用しづらく、帰省や旅行などで同じように18切符を使う友人とあまりがないようにやりとりするくらいしか手頃な解決策はない。金券ショップなどへ出向けば別だが、やはり面倒この上ない。
 丸一日あれば意外に遠くまで行けるもので、分厚い時刻表をにらんで計画を立ててみると、朝一番に大阪を出ると、一日で仙台の少々北あたりまではたどり着けることになる。
 もちろん、もう少し田舎へ行けば事情は少々異なる。一日の本数があまりないし、ダイヤも特急を中心に組まれているから敏捷性に欠ける。
 僕が初めて利用したのは高校の時で、大学に入ってからはさらに頻繁に利用している。特に1、2回生の頃は、長期の休みになる度時刻表を一冊とこの切符を何枚かカバンに入れて、あちらこちらを旅したものだ。
 隠岐へ渡る前の晩、星を眺めながら駅前のベンチで眠った境港。待合室の窮屈なベンチで始発を待ち続けた函館。地上のぼんやりとした光が遠くに漂っていた青函トンネルの竜飛海底駅。夏の光あふれる四万十の流れ。ただその名が素敵だからと乗った「ゆふ高原鉄道」。地名すらはっきりと記憶にないが、陽炎の中をまっすぐに延びる線路の向こうには、果てがないように感じられたある夏の駅もあった。
 また、昼間に限らず、「ムーンライト」の名が冠せられた夜行列車が、いくつかの都市を結んで走っていて、18切符で利用できる。もちろん、寝台列車ではなく、ごく普通の車両(さすがに対面の座席ではあるが)が夜を駆け抜けているだけだから座ったまま寝ることになる。しかしその窮屈さも、夜中にふと目覚めたときに自分の位置を見失っている不自由さも、旅情という言葉一つにくくることができる。
 国内の旅は、すべからくこの18切符と結びついている。僕にとって移動に長時間かかるということは、必ずしもデメリットではない。
 どこか途上にある、隣り合う二つの駅どうしの差を問われても、それはよく分からない。その二つがこっそりと入れ替わっていたとしても気付きもしないだろう。だが、旅における出発点と目的地というのは、それを旅だと捉える以上は、何かしら違いを有している。とすれば、その線上で徐々に色彩の変化が生じているはずだ。
 駅名表示や移動距離などから、意識的に差異を認識したときにはじめて、静かにゆっくり姿形を変えていたものが、実は劇的な変化であったことに気付く。例えば乗客の話し言葉、例えば空気の色、例えば駅ソバの出汁の色、例えば地方限定ビール、例えば女子高生のスカートの長さや化粧の具合。そんなとき、僕は自分の日常を離れていることを知る。
 旅をすることは、移動をすることなのかもしれない。


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