進めヤドカリ

 この春から住む家を探している。
 一軒のお店で、「これは」と思う物件が一つ出てくるかどうかである。だがそれらも、どこかしらで引っかかってくる。名前だけからすると「アンナプルナ」というマンションが最高だったのだが……。
 いくつか見て回り、経験値もある程度増えると、ここはやはり妥協が必要だろうかと思い始めた。そんなときに訪ねた、難波の不動産屋。開口一番「何と言うても安いのが一番や」と言った率直な姿勢が快かった。そこで紹介された一軒で、ほぼ決まりだと思った。難波にありながら、向かいには区役所が建つ静かな一帯にあった。
 何より僕の心を動かしたのは近くに高速が走っているということと、難波ということだ。前者は、「ダンス・ダンス・ダンス」で主人公が最初住んでいた部屋のそばをやはり高速道路が走っていたことによる。後者は、会社あけに家に帰り、荷物をとったらそのまま関空へ向かえるという地理的要因による。
 「その辺りは、夜と昼とで環境が違うかもしれないから、一度遅い時間に見に行ってみなさい」という父親の忠告があった。
 なるほど一理ある、と翌日、学校を出たその足で再び難波へ。駅からの最短の経路で歩いて7分ほど。周囲を見回しても何ら問題は見いだせない。近くにハードロックカフェオオサカがある。
 一区画ほど歩いてすぐに公園に出る。ところが、どうも工事現場にあるような黒と黄色のフェンスが積まれている。さらにのぞき込むと、何と公園の中に建物がどんと建っている。はて、この公園もビルになってしまうのかなあと少々残念に思った僕の目に、建物の看板が飛び込んできた。「浪速区役所」
 頭の中を火花が散った。目の前が浪速区役所ではなかったのか。きびすを返す。
 確かに、それは区役所ではあった。しかしドアには「仮庁舎に移転します」との貼り紙。入り口すぐにいる守衛さんに話しを聞くことができた。ここら辺はバックパッカー的に培われた行動力である。春から取り壊しが始まり、何年かかけて新築にするのだそうだ。先ほど公園で見たのが仮の庁舎。
 僕が引っ越すのと同時に道路を隔てた目の前で取り壊しが始まり、そしてビルの建築が行われるのだ。
 不動産屋が工事の予定を知らなかったのだとしたら、それは彼らの怠慢である。知っていて伝えなかったのであれば、ほとんど犯罪である。
 危ないところではあったが、やれやれ改めて部屋探しである。
 しかし、結果から述べると、西宮北口で果てしなくよい物件が見つかった。なんと2LDK(高校時代の友人が一時的に居候する予定があるから都合がよい)。もちろん、先の難波の不動産屋に支払った五千円は払い戻してもらった。
 向かいはニッカの工場、その奥にはアサヒビール。ネットで町名をキーワードに検索をしてみたところ、ぱらぱらと出てくるのは、なんと9割方が酒蔵の住所であった。なんともはや。


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