定点観測

 列車の窓に風景が流れていく。これが普通だと思っていた。だけど、今は風景に固定された僕が、行き交う列車を眺めている。
 家の前にはJR東海道線の線路が伸びている。こんなにたくさんの電車が走っているとは、想像だにしなかった。アルミ車体に青い線が走る新型車両、深緑とオレンジの昔ながらの各駅停車、そしてごくたまに特急。あるいは、昼夜の別なく荷を運ぶ貨物列車。
 騒音が気になる、というほどではない。ぐっすり眠ることもできる。ただ、窓を開け放していると電話で相手の声が聞き取りにくくなったり、ラジオからの音楽や言葉がかき消されるときもある、というくらいだ。
 朝、目覚めてカーテンを開けると、次から次へと人が運ばれている。運良く、僕は家を9時くらいに出ても十分に間に合うので、出勤する人が通り過ぎてゆく横で、朝食をとり、新聞を読み、コーヒーを飲むことができる。
 昼の間はどのような人がどのような列車によって運ばれているのか、僕が知ることはない。
 夜、眠りに就くころ、最も頻繁に走っているのは貨物列車である。貨物なんて、これまで自分の生活の中に描き出すことは一度もなかった。それが、夜を徹してがたごとと重い響きをたてているのだ。通常の電車よりも長い車体で重たいものを運んでいるためか、近づき、目の前を通過し、走り去ってゆくまで、線路を震わせる鈍重な音は、長い時間響きわたる。客車と違い、貨物には車内照明というものがない。だから、闇の中で不必要に目をこらすより、目を閉じ耳を澄ませている方が、その進行方向をうかがいやすい。ただ、どちらから来てどちらへ行くのかが分かっても、「どこ」から来て「どこ」へ行くのかは耳には届かない。
 深夜、ふとしたはずみにカーテンの隙間から線路を見下ろしてみると、寝台車が走っていることがある。ぼうっとした光に霞んでいる行き先表示からは、その目的地を知ることはできない。だけど、それはどこか未知の世界へ向かっているのだ。闇を駆け抜けるその寝台列車の窓から漏れる明かりは、線路際にわずかに残像として漂う。そして、僕を包む。 夜をも旅するこの列車は、傍観しているはずの僕の意識までも、そっとどこか知らない土地へ運んでいく。


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