暮らしていくということ

 ……そして目を閉じてスペイン語で一から十まで数え、声を出して「おしまい」と言って手をぱんと叩いた。それで無力感は風に吹き飛ばされるようにさっと消えた。(村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」)
 日曜の夕方。どうにも気持ちが晴れやかにならない。だからと言って、明日からはまた一週間が始まるのだから家の中でだらだらしていてるわけにもいかない。いくつかの最低限の準備は必要だ。
 大きめのボリュームにして、ウォークマンでタイポップスを聞きながら買い物へ出かける。うまく行かない時にはうまくいかないもので、帰ってきてからシェービングクリームを買い忘れたことに気付く。
 ひじきご飯をつくろうと材料を切っていても、ずいぶんと乱雑だ。指を切り落とすというようなことにはならなかったけど、味加減を適当にやったら、炊きあがったそれは適当な味だった。それでも、荒熱をとって、ラップに小分けして、ジップロックで密閉して冷凍庫へ。数日の間の主食である。洗い物をすませ、シンクの水気をふき取る。
 1週間分のワイシャツにアイロンをかける。気持ちがささくれだっているから、無用な皺をつけてしまって、その処理に余計にいらいらする。立ててあるアイロンを取ろうと、見向きもせずに右手を伸ばしたら、誤って熱した部分に触れてしまった。手首の上の方に2センチほど、ミミズ腫れのように火傷を負う。「やめた、やめた」と思っても、やめるわけにはいかないのだ。一息つくためにCDをかける。
 飲まないつもりをしていたけど、「これが終わったら、ビールの栓を抜こう」と自分にご褒美をちらつかせつつ作業を続ける。
 こういう時のビールというのは、残念ながら期待したほどにはおいしくないのが常だ。それが分かっていても、どうしても飲んでしまう。それで、少々は気持ちが上向く。
 玄関が狭いから、クリームやブラシなど一式を持ってベランダで靴磨きをする。窓を開けたら、雨が降り出していた。月曜の朝のことを考えると、歓迎したい天気ではない。
 どうにか終了。ようやくと、シャワーでさっぱりした身体をベッドに投げ出し、オレンジページをめくる。
 「ウノ・ドス・トレス……」できれいさっぱり陰鬱な気分が吹き飛ぶというわけではないけど、僕は僕なりに危機への対処の仕方を持っている。一つは、やるべきことはとにかくやるということ(普段は、この手の作業に好感を持ってのぞんでいるのだ)。そして、もう一つは所々での休息。多くの場合、アルコールを伴うのだけど。
 「一人で暮らす人間は知らず知らずいろんな能力を身につけるようになる。そうしないことには生き残っていけないのだ」


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