大学生協

 すでに3回の給料日を迎えた。その度に僕は紀伊国屋に寄って、一月分の本を買い込んでいる。わずかでも心が動いたら、手を伸ばすことができるのは、常に懐具合を心配していた学生のときと比べるとありがたいことだ。けれども、本を定価で買うということにどうにもまだ慣れない。なんだか、ちょっと損をしている様な気がしなくはない。
 つい数ヶ月前までは、大学生協で通常は10パーセント引きで、たまにセールがあると15パーセント引きで買うことができたのだ。10冊買ったら、一冊おまけに手に入るような気がしてうれしかった。
 考えてみると、書籍に限らず大学生協はこの上なく便利だった。
 最もよく利用したのはもちろん食堂だ。メニューは豊富だったし、値段の割には味も悪くなかった。1コマの前から、5コマの後まで開いているから、その気になれば三食を世話になることも余裕でできた。数えるほどだが、昼食をとりながらビールを飲んだこともある。軽食には焼きたてのピザもあったし、喫茶店だと躊躇してしまうが、食堂では昼下がりに男どうしでパフェを食べたこともよくある。
 書籍の品揃えは悪くなかったし(しかしセールのときには、棚がごそっと空になってしまい狙っていた本が買えないことはあったが)、CDも定価から割引されていた。
 海外旅行保険は毎回旅行センターで申し込んでいた。格安航空券もないわけではないが、これは利用したのは最初の一回だけ。他の旅行会社の方がずっと安いからだ。国際学生証やユースホステル会員の申し込みもここでできた。南京錠や貴重品袋などのいわゆるトラベルグッズも置いてあった。もちろんJRの切符もとれた。
 頼む人が多いから時間はかかったけれど、自転車修理もできた。家電品やパソコンも並んでいたし、プロバイダ事業もやっていた。住んでいた下宿は2軒とも生協の斡旋だったし、引っ越しの際のトラックもレンタルできた。免許をとるための教習所もここで申し込んだ。クリーニング屋も薬局も眼鏡屋も写真屋もあった。語学の検定試験も申し込めるし、映画の前売り券もバスの回数券も売っていた。 結局僕は一度も世話にならずにすんだけれど、共済もあった。冠婚葬祭は……さすがになかったような気がする。
 およそ日常生活で必要なサーヴィスは備わっていたのではなかろうか。それだけ恵まれていたのは、もちろん学生だったからなのだが。
 卒業してしまった今、紀伊国屋のレジで定価を支払いながら、大学時代と大学生協とが無性に懐かしく追憶されてならない。


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