落ちてゆく

 幼い頃、下りのエスカレーターが怖かった。次々と繰り出されてゆく段に、足を踏み出すタイミングが計れなかった。わずかに機を逸すると、そのままごろごろと転げ落ちるのではないかと思っていた。
 そして、この恐怖心は眠りの中でも襲ってくることがあった。夢の中では、エスカレーターの先に暗黒が待ちかまえていた。3列か4列かエスカレーターが並んでいて(どうしたわけかこのエスカレーターは、イトーヨーカドーに他ならないという気がする)、僕はそれに乗っている自分を正面から見ているのだ。滑らかに下りながらも、すぐ先には暗闇が口を開いている。止まりたいけれど、自分の意志ではどうにもならない。飲み込まれた瞬間、足場は消滅し、ものすごいリアルな落下の感覚が襲う。
 よく、悪の親玉がぱちんと指を鳴らすと床に穴が開き、失策を犯した部下が消される場面があるが、それに近いものがある。ただ僕の夢の場合は、その向こうに何もないのだ。硫酸のプールや鰐の檻や地下牢すら存在せず、ひたすらに落下が続く。すぐに目が覚めればよいのだが、そうでないときはしばらく恐怖を味わった状態で目が覚める。心臓が強烈に鼓動して、しばらくは眠りに就くことができないほどだ。
 最近でこそ、気にもならなくなったがエレベーターのふわっという感触も苦手な方だった。あれは慣性の力で内蔵が体に押しつけられるということらしい。つまりずっと上っているときにどこかの階で止まったら、内蔵だけ上に行き続けようとするのだ。もちろん逆もしかり。
 こういう恐怖心の理由は、具体的にどこかから落っこちた記憶があれば簡単に説明が付くのだろうが、そういうわけでもない。あるいはDNAに刻まれた太古の記憶によるのだろうか。例えばマンモスの背から振り落とされたとか、鳥の卵を取ろうとして木の枝が折れてしまい、したたかに地面に打ち付けられたとか、そんな先祖がいたのかもしれない。
 そのおかげで21世紀を目前にしても子孫は困っている。マンモス時代には想像もつかなかっただろうが、飛行機の離陸が苦手でしかたない。一体これまでに何度乗ったのだろうと考えてみると滑稽な気もするのだが、未だに慣れることができずにいる。
 上昇を続けながらもふっと落下するとき、手のひらに汗が噴き出し呼吸が乱れる。これは、夢で体験するのとまったく同じ感覚なのだ。手元のボタンで乗務員を呼び出し「手を握ってて下さい」と頼むわけにもいかない。堅く目を閉じ、拳を握りしめ、身体を強ばらせてじっと耐えるしかない。毎回離陸のときにはパイロットに祈るような気持ちになる。水平飛行に移るまでの魔の7分間は、翼の上でグレムリンが笑っていても不思議じゃない。


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