暑い国の白い粉

 蒸し暑いのは苦手だ。こう書くと、今まで自分が旅行してきた国々の選択とまったく矛盾するじゃないかと思われるかもしれないが、それとはちょっと状況が違う気がする。確かに熱帯地方へ出かけることが多かったが、短パンにTシャツ足許はサンダルで、汗をかいたらいつでも水シャワーを浴びたりビールをあおったりということが可能だったから、高温多湿も苦ではなかった。なにより、湿気の中には様々の匂いが溶けていて魅力的だった。
 ところがここしばらく僕が呼吸している空気のほとんどは無臭で没個性的である。考えてみれば夏を日本で過ごすのは3年ぶりでだ。こんなにセミがうるさかったっけ、と毎日のように思っている。しかしいくら僕が怪訝に思おうと、クマゼミ(のオス)は短い一生を鳴き続けるし、僕はネクタイを締めなくてはならない。
 この暑さからわずかでも逃れるために、「フラフラ!」というタイから持ち帰った白い粉を朝に晩にと利用している。入浴後に全身にはたくと、スーッとするのだ。と言うより、むしろ寒気を覚えるほどの清涼感が得られる。身体の水気を完全に拭き取るのではなく、したたり落ちない程度に水分を残しておくと、気化熱と合わせて強烈に効く。シャワーから上がってフラフラをはたいて、扇風機(できれば天井から吊されたファン)の風を受けると、夏のさなかにブリザードを体験できる。そこらを、ペンギンがとことこ歩いていてもおかしくないほどに冷える。
 残念ながらこの手の粉を一般名詞で何と読んだらいいのかよく知らないが、フラフラにの他に何種類もタイのスーパーやコンビニの棚に並んでいる。その中で僕がフラフラを好んで使っているのは、バンコク在住のM氏から「やっぱフラフラやろ!」というご推薦の言葉をいただいたからだ。特に他のものと比較して吟味した上で、というわけでもない。
 タイでは小さな子どもなんかが、顔までも真っ白に塗りたくっているのを見かけることがある。僕はさすがにそんな顔で電車に乗るわけにはいかないので、服に隠れる部分にはたくだけだが、それでも小一時間はヒンヤリが続く。特に背中を汗の粒がつーっと伝わるときには、氷でなでられているように感じることができる。もちろん汗そのものは不快なのだが、次善の策としてはこれに優るものは知らない。
 英語の成分表示を見てみると、どうやらメンソールが効くらしい。そう言えば、これまたタイのどこでも手に入るインヘラーという鼻から吸う薬もメンソールが主成分である。メンソールは暑いこの国の知恵なのかもしれない。だとすれば、この上にセイラムでも吸えばエアコンも必要ないほどに涼しくなれるのかもしれない。だが、残念ながら僕はタバコが大嫌いだからそういうわけにもいかない。


戻る 目次 進む

トップページ