みそ汁に豆腐が入らないわけ
ここ最近、1週間のうち半分ほどは夕食に豆腐を食べている。大体において冷たい食べ物(素麺とかビシソワーズとか)に目がないので、豆腐ももちろん冷や奴で食べる。
ネギとしょう油だけというようなシンプルな食べ方ではなく、わっとばかりに色々と乗っけて食べるのが好みなのだ。一番よくやるのは、適当な大きさに切った豆腐の上に、みじん切りのネギを文字通り山のようにのせ、鰹節をふりかけ、しょう油とごま油とこれまたたっぷりの豆板醤で調味するというものだ。冷たくつるりとした舌触りとほのかな大豆の甘さ、そして薬味という段階を超越したネギの鮮烈な香り、深い旨みをもった鰹節、そして全体をまとめる醤油とごま油の味付け、さらには刺激的な豆板醤の辛さ。どれだけ食べても飽きないばかりでなく、この派手な冷や奴に箸を伸ばす時はいつも幸福な気分がつきまとう。
辛味から責めるのならば、キムチとの取り合わせも捨てがたい。貝柱なんかがたっぷり漬け込まれたXO醤もものすごい魅力的なのだが、なかなか高価なのでおいそれと手が出ない。味付けにはナンプラーをかけるときもあるし、マヨネーズということもある。マヨネーズとたらこを練ったものにちょっとだけしょう油を落として豆腐にのせ、熱いご飯と一緒に食べるのはかなり贅沢な部類に入る。ただ、いずれにせよ、大量のネギを外すことはできない。
ここまで来るとさすがに「冷や奴」で定義できる領域を逸脱しているのかもしれないが、薄く切ったアボガドをのせ、オリーブオイルと醤油をかけるのもよい。
家ではなかなか機会はないが、ピータンをのせてちょっと甘めの中華風のたれをかけていただくピータン豆腐はある意味で完璧な味だと思う。
いずれにせよ冷や奴で最も肝要な部分は「よく冷えていること」に尽きると思う。温度が高ければ、それだけで全てがぼけてしまう。そこさえ外さなければ、何かを焼いたり煮込んだりという必要もなく、冷蔵庫から材料を出してくればあっと言う間に一品になってしまうのだ。逆にその手軽さ故に、他の料理とのペース配分を間違えてしまうと、極端な話し、ご飯も炊きあがっていないのに冷や奴だけがとりあえずできあがっているということもたまにある。そんなときは、躊躇することなくビールを取り出しそのつまみとして食べてしまえばよい。
ほとんどの場合、一食で一丁丸ごと食べてしまう。「いや、三分の一ほどは明日のおみそ汁にとっておこう」と思わないのではないのだが、そこは「明日のみそ汁より今日の冷や奴」的に愛好しているので、なかなか豆腐のみそ汁は食卓に上ることがないのである。
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