二人

 男は、都内のこぢんまりとした私立の大学を卒業して、ある新聞社に勤めていた。女は、彼が学んだ同じ大学の同じ研究室で学んでいた。彼女は一年間の休学から復学したばかりであった。イスラエルのキブツに滞在したり、ヨーロッパを旅行したりという一年であった。
 ある日、彼女がいつも通り研究室に入ると、ふと教授に声をかけられた。男はその勤務時間の特異性を利用して、興味のあった統計学の講義を受講しにきていたのだが、そのついでに研究室に立ち寄ったのだ。教授を仲立ちにして、女は男に、男は女にそれぞれ紹介された。
 「よかったら、そのイスラエルの写真を見たいですね」という言葉に、彼女は素直に従った。下宿には電話がなかったので、近所の公衆電話から連絡をとり、再び会う日時と場所を決めた。
 「たまたまもらった映画の券が二枚あるので、よろしかったら」と男は後日再び連絡をしてきた。果たして、本当にその券は「たまたまもらった」ものであったのかどうかは当人にしか分からない。
 トルストイの述べる「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」という言葉を利用するならば、「出会いはいずれもそれぞれの出会いだが、その後の展開はどれも似たものである」ということが、男女関係についても述べられるかもしれない。イスラエルの写真を見る、というきっかけはかなり特殊なものだろうが、出会った若い二人が映画を見に行くというのは、とてもよくあることだ。
 大学を卒業した彼女は、小さな小さな旅行会社に就職をした。JTBとか近畿日本ツーリストなどとは比較にならぬほど小さな会社だ。聖地巡礼に出かけるキリスト教信者のためのツアー手配を専門に行っている。どれほど小規模なものであったかは、入社してすぐの彼女の肩書きが、常務であったことからも明らかであろう。
 そして二人は、教授夫妻を仲人として結婚した。式は二人が通ったキャンパス内のクルトゥルハイムと呼ばれる施設で執り行われた。
 それから2年後の9月には(残暑の厳しい折りであった)、彼女は男の子を出産した。さらに2年後、年も押し迫った頃に今度は女の子が生まれた。息子には父親の父親にちなんだ名が、娘には両親の母校にちなんだ名が与えられた。
 月日は矢のように流れる。
 彼女は半ば照れながら25年前を振り返り、男のどこに魅力を感じたのかという問いに次のように答える。「何せ丸一年キブツで農作業やってて日本に戻ったばかりだったから、びしっとスーツを着込んでいた姿が新鮮で格好よかったのよね」

 僕が今ここにいるのは、一着のスーツのおかげなのかもしれない。

#20年以上も昔のことなので、記憶があやふやな部分もあり、完全には事実と一致していない可能性がある、と当人に指摘されたことを追記しておく。


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