10年の潮風
家に帰る。部屋の電気をつけ、コンポのスイッチを入れα-STATIONに選局する。金曜の夜の、にぎやかな(時としてやかましい)二人のDJによる番組が流れる。インターネットに接続しメールをチェックする。その合間に、ジーンズとTシャツに着替えて手を洗う。メールのいくつかに返事を書く。
ここまではいつものことだが、今日は違う。
それなりの個人的理由からしばし躊躇した末、棚からとっておきのグラスを取り出す。内周が規則的に波打つようなデザインになっているだけの、ぐっとシンプルなバカラのグラス。手に持つと視覚で捉える以上の存在感がある。
ラフロイグの10年を箱から取り出し、封を切り、とくとくと、慎重に、たっぷり注ぐ。その香りの第一印象は、なんだろう、保健室の匂いだ。ヨードの粒子が鼻を通り抜ける。あるいは、熟成されたアイラ島の潮風。
しばらくストレートでゆっくりと味わう。おや、記憶のどこかにかすかにひっかかる。はっきりとは覚えていないが、飲んだことがあるような気もする。
そっと水を注いでみる。水の中を泳ぐウィスキーと、クリスタルとの相乗効果とで、透かした風景が陽炎のようにゆらいで見える。まるで水族館でぶ厚い水槽を通して魚を見るような、ゆらりゆらりとしたした錯覚がある。水割りにすることで、その強烈な個性がやわらぎ、第一印象でははっきりとつかめなかった様々の香りがくっきりと立つ。
なんで、ラフロイグなのか。今朝読んだ「もし僕らの言葉がウィスキーであったなら」という村上春樹の新刊(多少その分量と値段のパフォーマンスがよくない気もする)に触発されたのだ。「今晩は、絶対にシングルモルトを飲もう」と、ただそれだけを考えて半日を過ごしていた。
まあデパートへ行けば手に入るだろうと、まずは大丸の地下へ。だが酒売場のほとんどがワインの棚で占められており、ウィスキーは隅に追いやられていた。しかも種類も乏しい。華やかな熱帯魚の泳ぐ珊瑚礁に巣くう地味なナマコのような扱いだ。誰も見向きもしないのだ。
その足で阪神へ向かう。こちらもワインが大々的に展開されている。国別、そしてフランスにいたっては地方別に陳列されている。群がる人混みを縫うように洋酒のコーナーへ。やはりここもウィスキーの地位は極めて低い。ワインほどはやっていないし、12月24日にふさわしい飲み物でもないのだろう。
ラフロイグとブナハーブンを買うつもりだったが、後者は見あたらなかった。ボウモアも良いとは思ったのだが、いかんせん1万5千円を超えている。とりあえず今日のところはラフロイグの10年。
グラスを傾けながら、ふと思い出してあるホームページを開いた。シングルモルトとギネスを求めた旅行を美しい写真で記録しているページだ。村上春樹の文章、Ogawa氏の写真、そしてラフロイグ。それぞれの芳香が静かな冬の夜にゆっくりと混じり合う。
文中で示したホームページはこちら、ゆ〜らしあ大陸ほっつき歩き
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