チュラめぐり
様々な理由でタイ語の習得を目指してやって来た外国人学生に対して、第一週目の金曜日の午後に「キャンパスツアー」が用意されていた。タイ語集中コースの学生全員と先生3人とで、何とバスを一台仕立てて学内をめぐる。
ツンとした感じの美人のヌー先生(悲しいかな、僕らのクラスには週に一度しかやって来ない)が、マイクを持って「あてんしょんぷり〜ず」なんて、愉快なノリで始まった。「右手に見えますのが……」と一渡り説明を終えたところで、「あら、私の右手だわ。皆さんからしたら左手ですね」という辺りがまた愛嬌があってよい。
文学部の二つの建物は第二次大戦中には日本軍の司令部が置かれた場所で、今では歴史的建造物とされている。文学部は圧倒的に女性が多いが、日本と同じく工学部は男性が多い。「お腹いっぱい食べたいときは、工学部の食堂へどうぞ。文学部の食堂よりもご飯の量が多いですから」
またブックセンターの裏手には、金曜日ごとに市も立つ。「食べ物、着るもの、あるいは装飾品なども、何でも売っています」
30分ほど生協や市場の散策の時間が与えられ、ツアーが再開。バスはアンリ・デュナン通りに出る。メインの二つのキャンパスはこの通りの両側に位置している。医学部の付属病院の横を通る。先生が説明する。「チュラの病院はタイで最高の技術水準です」と語った後に「でも、サービスは最悪です」と、きっちり笑いをとる。大学病院というのはそういうものなのかもしれない。
最後にみんなで集まって自己紹介大会。出身国は日本が最も多いが、アメリカ、インドネシア、マレーシア、イラク、イギリスからも。先生の中にはオカマの人がいて、しっかり胸までふくらんでいる。
チュラ大について、もう少し語ってみよう。
「アンナと王様」という映画があった。そこに登場したチョウ・ユンファ演じるところのモンクット王がラーマ4世。その58人の子どもの内の一人が、ラーマ5世ことチュラロンコーン大王である(ちなみに現在のプミポン王はラーマ9世に当たる)。19世紀後半の列強のアジア侵略の中、タイの独立を保つために人材の必要性を感じた王が教育機関の設立を発案した。彼によって礎がつくられたのがチュラロンコーン大学である。
現在でこそ国立だが、そもそもは王立であった。王立と聞くと、「オネアミスの翼」という映画を思い出すが、そこに描かれていた落ちこぼれの集まる王立宇宙軍とは異なり、チュラロンコーン大学は現在でもなおタイで最高峰の大学として認知されている。
タイ語は後置修飾なため、通常は「大学+名称」だが、チュラに限っては「チュラロンコーン+大学」と言う。王様の名前を「大学」という一般名詞の後に置くなど以ての外、ということらしい。
学生のプライドもなかなかのもので、例えば「制服の袖のこのデザインはチュラだけのものだ」とか「チュラの日本語学科はタイで一番よい」とか、いくつかの点において「チュラだから」という発言を耳にした。
日本では「タイの東大」と例えられることがあるが、他の多くの単純化と同じように、正しくもあり誤りでもある。ただ、僕の個人的な感触としては、プライドを持つ対象という観点では似ている部分があるような気がする。例えば東大生の場合は、「東大」の学生であることに重きを置いていることが多い。京大生が「京大生」であること(あるいは「京大生」であるところの自分)に誇りを持っているのとは対照的である。チュラの学生の場合は前者に近い感情があるのではないだろうか。とは言え、あくまで僕が知っている範囲での限定的な感想でしかないのだけれど。
参考:チュラロンコーン大学の歴史
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