学習、記憶、実践

 極めて実際的な授業があった。「今日の午後は、階下でタイ人の学生と話しをして、友達になったら7階の食堂まで連れてきましょう。先生はそこで待っています」
 男性陣は女性が大勢を占めるここの学生に堂々と話しかけられる大義名分が与えられたことに喜びを隠せない様子だった。僕も含めて、ということだ。
 キャンパスには石造りの机とベンチが多数設置されており、そこで勉強したりおしゃべりに興じたりしている彼女たちに、とりあえず何の脈略もなく話しかけなくてはいけない。参考までにと渡されたプリントには「あなたの名前は何ですか」「5,269,743.80はタイ語で何と言いますか」などの項目が英語で記されているものの、いきなり拙いタイ語で数字の読み方なんか訊かれたって、向こうも困ってしまうだろう。
 「すみません、ちょっと時間があったらお話ししませんか」という言葉をとっかかりにする。だが、これではまるっきりキャッチセールスかナンパである。2度ほど「次の講義がもうすぐだから……」と断られてしまった後、3人組の女性から許諾の返事。話しの輪に加えてもらう。
 あくまで「課題の一環として」「先生に指示されたので」ということを強調しながら、とりあえず自己紹介。3人は、芸術学部の1回生。それぞれ、ピマーイ、チェンマイ、サムイ島の出身だった。偶然にも、そのいずれの土地へもこれまでに行ったことがあるので、うまい具合に話しが盛り上がってくれた。
 乏しいボキャブラリーから会話が行き詰まりかけたときに「逆に、何か僕に質問ってない?」と話題を投げかけてみたら、幸運なことに彼女らは日本や日本語に興味津々らしく「私の名前を日本の文字で書いたらどうなるの」「サワディーは日本語ではどう言うの」果ては「『好き』ってどう言って、どう書くの?」と、日本語についての質問が次から次へと飛び出してきた。いつのまにやら立場が逆転してしまい、日本語教室である。
 友達ができたかどうかに関わらず、2時半には7階の食堂へ戻るようにという指示を受けていたので彼女たちを誘う。外国人学生とタイ人学生との組で、結構どのテーブルも盛り上がっていた。
 内の一人の携帯電話が鳴った。話の接ぎ穂を見つけてこれ幸いと、「タイの学生って、ほとんどみんな携帯持ってるよね」と言う。彼女たちは「そうよねえ」と返事する。
 でも、そんな分かり切った事実の確認が本論ではない。「実は僕も携帯を欲しいなって思ってるんだよ」「みんなのはいくらだった?」「会社はどこのがいいの?」「どこで買ったら安い?」云々。
 「じゃあ、今度一緒に携帯電話買いに行きましょうよ。私たちと一緒だったら値切ってあげられるし」と、期待通りの展開に、心の中で密やかにガッツポーズ。「その後で、ご飯でも行きましょう」とまで話しはトントン拍子に進んだ。
 ヌー先生は常に僕たちにこう言う「学校で習ったことを家に帰って練習して、頭に叩き込みなさい。そして、記憶したら実際にタイ人との会話で使いなさい。タイ語に関わらず、語学を身につける方法はそれだけです」。まったく同感である。
 ということで、この土曜日は実践の日となる。あくまで、先生の教えを忠実に遂行しているよい生徒なのだ。


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