景気よくゆこう!

 人生において、辞書を購入する機会というのはそうそうあるものではない。ある分野について、そこそこのものを手にすると、それほど頻繁に買い換えるものではないし、そもそも個人で揃えるジャンルはとても限定されている。例えば、普通に生活していれば和英辞書は手元にあっても、和ポ辞書(日本語・ポルトガル語)なんて置いている人はほとんどいないだろう。
 タイ語の辞書はこれまで使ったことがない。必要性が発生するほど突っ込んだことはやっていなかったし、日本でざっと見た分ではあまり有用なものがなさそうだったからだ。代わりに、分厚いテキストの索引を利用していた。これまではタイ語と日本語の一対一対応が分かれば十分だったのだが、どうも最近間に合わなくなってきた。まだそんなに大層な内容を学習しているわけではないけれど、たまに不完全燃焼に陥ることがでてきた。
 日本語を使用してタイ研究・学習をしている人数よりも、英語のそれらの方がはるかに多いだろうことは想像に難くない。そんなわけで先生に「タイ英辞書は何がいいでしょうか」と尋ねてみたところ、「この編者の手による辞書がよい」というのを教えてもらった。ヌー先生が親指を立てて「よいです」と言ったのだから、本当によいのか、もしくは自身がその編者の関係者なのかもしれない。
 サヤームスクエアに、チュラ大のブックセンターがある。その日の帰り道に立ち寄る。
 タイ日辞書を数冊手にしてみたが、やはり厳しいものがあった。内容もそうだし、何よりも活字の書体が苦手なものばかりだった。
 話しが横に逸れるが、フォントというのは僕にとってかなり大きな選択の基準となる。粘っこい明朝系が一番だめだ。高校のときも、かの「チャート式」は一度も使わなかった。
 そんなわけで、やはりタイ英辞書を選ぶことにする。先生お勧めの辞書は、ぱっと見た限りで2種類が並んでいた。分厚い机上版と、それを簡略した携帯版といったところだ。まず大きさが違う。机上版は2冊組になっている。それから、記載されている用例の数が比較にならない。辞書なんてそもそも携帯するべきものではないし、用法が豊富な方が理解の助けになるのは当然だから、こんなところで数百バーツをけちってもしょうがない。2冊組を携えて、うきうきしながらスターバックスへ。
 ソファに腰掛け、エスプレッソフラペチーノで涼をとり、表紙をめくる。この「NEW MODEL THAI-ENGLISH DICTIONARY LIBRARY EDITION」の「初版への前書き」にはこうある。「故に、二カ国語の辞書においては、各々の語は文脈の中に置かれる必要がある。そうすることで、学習者はその外国語が自分の周囲にある親しんだものを意味しているのだと明確に理解できるのである。言葉を換えるならば、語の意味を説明する最高の方法は、理解を助けるべき文例の提示に他ならない」
 当然この辞書は、そこを主眼に編纂されているわけである。ざっと眺めた限りでも僕の現在の知識の範囲でも理解できる文章が数多く提示されていた。結構、読んでいるだけでも楽しい。辞書の用例らしく、無機的な文章だけど、それでも複数の用例からその語に共通するニュアンスを自分で嗅ぎ出す作業は嫌いじゃない。
 辞書や参考書や問題集などを買うと、まず「前書き」をつぶさに読むというのは僕の一つの趣味だと言っても差し支えないだろう。この本を使うといかなる知識が身について、いかに役立つかということが著編者の手により、自信に満ちた魅力的な文章で記述されている。そこに書かれている景気のよい言葉を眺めるだけで、もう十分に全体の内容を咀嚼して、たっぷりと学習した気分に浸れる。各種テキスト類の前書きだけを集めた本があったとしたら、自信を失いかけたときに、前向きに考え直す役に立つのではないかとさえ思う。


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