3歩進んで2歩もどってしまった

 僕が住んでいるマンションには鳥が数多く飼われている。おかげで、さえずりの中さわやかに目覚めることができる。表通りに出て、排ガスの充満するバンコクを目の当たりにしなければ、どこかの避暑地のような気さえする。夜になったり、雨が降ったりしたときに、鳥カゴを庇の下に入れるのはどうしたわけかガードマン氏の仕事となっているようだ。毎朝、僕が学校へ行く時にはおそらくまた彼の手によって、ちゃんと表に並んでいる。
 「オイ、ドナイヤネン」というのが、今朝玄関を出て一番最初に耳にした言葉だった。眉をしかめるほどのものすごい違和感があったけれど、それと同時に否定できない説得力もあって、思わず辺りを見回した。いったい、どこの誰が「ねえ、いかがお過ごしですか(共通語訳)」なんて訊いているのだ?
 そこにいたのは、他よりは大きめのカゴに住む、一羽の九官鳥だった。本当にその九官鳥が「オイ、ドナイヤネン」という言葉を覚えているとは、現実的に考えにくい。でも、今朝の僕の耳には確かにそう聞こえた。
 それがもし、親しい友人によって発せられた言葉であるなら、そいつの肩でも叩いて「ま、今晩、飲みにいこうや」とでも言っていたかもしれない。でも、夜には眠りに就いている九官鳥を相手にしては、そういうわけにもいかない。
 タイ語の能力が、飛躍的に落ちた。テキストを持って帰ってはいたが、一度しか開かなかった自分が悪いのは言うまでもない。ある程度テイクオフしていれば、多少の期間はどうということはないのだろうが、まだまだ低空をふらふらとしていただけの身にしてみれば、頭から離れるに十分な時間だったようだ。大阪に戻っていたことが悪いのではなくて、そういうことを分かっていなかった僕の過ちに他ならないのだが。
 第一に、授業中に出される問題で、声調の違いがアイデンティファイできない。それぞれが違うというのは分かるのだけれど、それが第何声調に当たるのかが分からない。特に、平声と低声、それに高音と上声の違いを頭が判断できなくて、たいていの場合は誤った方を選択してしまう。
 第二に、タイ人の友達との会話がさっぱり頭に入らない。「1週間の日本はどうでした?」に始まるところは分かっても、そこから先、それぞれの人に固有の話しを持ち出されると言葉としてすら聞こえない。音が通り過ぎて行くだけだ。これには恐怖感すら覚える。「英語か日本語で……」と頼むと、19、20才の学生に「タイ語の練習しなきゃ!」と切り替えされてしまい、余計に情けない思いをする。
 今の基礎2のコースは文字の習得に重きを置いている。記憶すべき単語や構文は、その分以前よりも少ない。幸いなことに、タイ文字は独習済みなので、授業の半分くらいは聞き流していられるし、復習に充てる時間も短くてすむ。
 ちょっと立ち戻って努力をしなくては。


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