踊りませんか?

 僕には人間として必要な能力が不足している部分が多々あることは認識している。加えて、完全に欠落しているものさえある。音楽に合わせる、というのは僕にとっては「空を飛べ」というくらい無理な話しなのだ。
 音程とリズムが両方ともとれない。小学校の頃、曲に合わせて行進するとき、教師が「イチ・ニ・イチ・ニ」と声をかけていたが、あれがどうやって分かるのかがずっと不思議だった。コンサートへ行っても、手拍子がどうやって決まるのかが理解できず、無理矢理合わせていたとしても、拍子が変わると一人だけ以前の拍を叩き続けてしまう。音程は言わずもがな、音痴というやつである。
 だから、カラオケという娯楽がうまく理解できない。よほど気心の知れた人間と「僕は飲んでるだけでいいんだな。歌わないぞ」という約束があるのなら、まあ本当に飲むためだけに出かけることがある程度だ。
 そんな僕が、バンコクで初めての体験をした。ディスコである。きっかけは友達からのメール。「今夜、友達どうしでシーロムのナイトクラブに行くけど、よかったら一緒にどう?」
 場所はタニヤ通りとパッポン通りのちょうど間。シーロム通りのソイ4という場所である。聞いた話しではここにはゲイが多いのだそうだ。
 「うん、ここに入りましょう」と促されるままに店内へ。雰囲気は学園祭の模擬店をさらに貧相にしたようなものだった。真っ暗で、窓枠がぶるぶる震えるほどの音響だが、装飾は「しょぼい」としかちょっと言いようがない。多少はこましな格好をして出かけたのだが、ブラックライトの存在を考えておくべきだった。白い混麻のシャツが光ってしょうがない。
 学生たちは大はしゃぎ。次から次へと仲間がやってくる。チュラロンコーン大学文学部の日本語学科、スペイン語学科、英語学科、フランス語学科の面々。フランス語学科でトップの成績という女性までいる。性別も女性、男性、オカマとそろってる。そしてそれぞれがまたその友達を連れてくるものだから(僕もその一人なのだけど)、国籍も豊富。一番おもしろかったところでは、フィンランド航空のパイロットなんて人までいた。
 普段は「あらやだ、お酒なんて」て言ってる彼女たちも、気づくとボトルで頼んだバカルディをコーラで割ってぐいぐい飲んでいる。持ち込んだスコッチに「おいし〜!」と声を上げる人もいる。また男子学生が吸っている煙草を試しに回し飲みしてみたり。意外な一面を見たような気がするが、ちょっとほっとした。だが、まあやってることは日本の高校生のようなものである。
 洋楽が多いが、たまにタイの曲がかかると、店内は嬌声に包まれる。音楽に合わせるという基本的能力が欠如している僕から見ても分かるほどに、彼女らの身体の動かし方はてんでバラバラの適当だ。でも、思いっきり楽しそう。
 僕が大学生だったころ、居酒屋に集って気を吐いたり、友達の下宿で安いウォッカや、誰かが実家から持ち帰ったウィスキーなんかを飲みながら、陽が昇るまで青い意見を闘わせていたあの雰囲気がここにある。たぶん、彼女ら・彼ら・オカマらはこうやって生涯に渡る友情の土台を築いていくのだろう。
 いつの間にか深夜を過ぎている。僕も立錐の余地のない店内で、なんとなく手を振ったり身体を揺らしてみたりする。うん、やっぱり面白くない……。
 待ち合わせ場所で、「お店にはティーンエージャーがいっぱいいるよ!」と言われたときに、僕の心にふと浮かんだ不安は、残念ながら現実だった。
 そこは、僕は既に通り過ぎてきた場所なのだ。


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