洪水見物
月曜の朝の目覚めは雨音だった。詩的と呼ぶにはほど遠い。昨夜2時前まで飲んでいたので、肉体は一分でも長い睡眠を求めている。でも、それを妨げるくらいの大きな音をたてて雨が降っている。雷鳴がさらに安眠を脅かす。
授業の時間が迫っているので、決心してベッドから身体を引き剥がす。ここ数日、ベランダから運河の水位を確認するのが半ば習慣と化している。今朝は最高だった。このままの勢いで降り続けば洪水にお目にかかれると、不謹慎にも思った。
でも、実際のところ、既に洪水は発生していたのだ。
大雨の中を歩くのが面倒だから、タクシーで登校することにする。フロントで頼んだが、どうにもやって来ない。しばらくして「どのタクシーもチュラに行きたがらなくて……」と伝えられる。仕方なく傘をさしてマンションを出る。路地の奥の方では景気よい音を立てて水が流れている。
ラーマ1世通りも川のようだ。車が波をかきわけて走っている。1台目のタクシーには、行き先を伝えたら断られた。状況が状況なので空車が少ない。ようやく見つけた2台目でパトゥムワン交差点を右折して、パヤタイ通りを下る。
車で走っているのに、耳に入る音は、ジャバジャバジャバジャバである。
5分遅れくらいで教室に駆け込もうとしたら、教室の電気すらついていない。近くにいた上級コースの先生から「今日は初級の人はまだ誰も来てないよ」と伝えられる。
どうしたものかと思っていたら、他の学生たちが徐々にやって来た。ビーチサンダルを履いていたり、ズボンをたくし上げている人もいる。僕のクラスの先生は今日は来ることができないので、残り二つのどちらかの教室に混じるように言われた。
昼食時、他のエリアの見物を兼ねてタニヤで昼食をとることにする。たまたま通りかかったタクシーをつかまえる。ドアの高さには辛うじて水面は達していない。相変わらずジャバジャバジャバジャバと車はゆっくり学内を進む。
だが、門から出たアンリ・デュナン通りは問題なし。チュラの中の標高が低いだけみたいだ。スリウォン通りも既に水が引いた跡がある。ああ、ここまで水面だったのだろうなという辺りにゴキブリが身体を寄せ合っていた。それを猫がいたずらしている。でも、昼食に出てきた会社勤めの人たちには、特に変わった風もなく。
午後3時に授業が終わり、朝と逆向きを今度は歩いて戻る。雨は昼前に止んでしまったので、あちこちに大きめの水たまりが残っているくらいだった。運河も溢れていなかった。水面を大量のゴミが流れていた。
僕は好奇心から洪水(それも極めて軽度の)を眺めていたに過ぎない。実際に生活に支障が出たわけでもなんでもない。だけどニュースはシビアなものだ。今日のバンコクポストの洪水関係の記事の書き出しはこうだった。「東北地方の農民は、今回の洪水で大量のコメが駄目になってしまったため、借金がかさみ、返済不能に陥る不安に苛まれて生活している」
さらには、この破滅的な現実にうまく対処することができない人々が精神面で受ける影響についての医師の指摘もあった。記事の最後にはこうある。「一方、中国政府は外務省を通じて4,342,600バーツの支援を行った」
僕は観光客に過ぎないのだということを再確認しておく。
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