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 知識を得るということを第一義にしないとき、人は何を求めてウェブの大洋に浮かぶ文章を読むのだろう。疑問の対象は、言うまでもなく、このサイトという個別に限定された小さな小さな島に関してである。
 幸いなことに、これまでいただいた感想メールや掲示板への書き込みなどから、考えるヒントを数多く受け取っている。
 中には、6年越しの読者からの反応もあり、ずいぶんと嬉しい驚きも得ている。また、「間違い電話」や「香枦園浜」などと、こちらがまったく予想していなかった検索語を取っ掛かりにして、定期的にアクセスされている方もいた。
 それぞれの方にはそれぞれの事情や趣味嗜好があるのだけれど、継続して読むことへの共通する理由というものが、何とはなしに浮かび上がってくる。その一つに「視点・捉え方」あるいは「感覚」への指摘がある。
 文章を書くには、視座が必要だ。そしてそこに基づいた視界。この二種類のパラメーターの上に文章は成り立っている。何かを書くということは、意識の有無に関わらず、そこに書かれないその他の全てを葬ることでもある。
 外界にせよ内奥の存在にせよ、できるだけ厳密に切り取ることが、結果的に他者に対しては僕の「視点・感覚」の提示として映っていたのだ。そこを好むということは、僕の世界観に興味があると捉えてよいのだろう。(自分へのメモ:僕の世界観と僕自身とは必要十分の関係にはない)
 転じて、僕が日常的に読んでいる文章サイトというのもいくつかあるわけで、そちらへ目を向けることも一つの考える手段になるだろう。
 例えば、有名どころでは「N.TONOSAKI's Personal Station」「テーマパーク4096」「ニセ首相官邸」という辺りの更新をチェックしている。改めて考えてみると、それぞれの「発想」が僕にはおもしろい。あるいは、「Asahi Internet Caster」の一部の記事、特に火曜日の「欧州どまんなか」ではクールに独特な思考の枠組みに触れることができる。
 友人連中にもサイトを持っている者が多い。そのほとんどは文章中心であるところが可笑しいのだが、僕がそれらを読み続けているのは、どうしたって知り合いの近況を知るためという目的の方が大きい。
 ただその中にあって、「1000万人都市の片隅から」は、本人を知らなくとも独立した文章として読む価値があるように思うので、この機に紹介してみたい。
 「書き散らす」という表現がこれほどしっくりとくるサイトもなかなかない。それでいて破綻を来すことなく、読ませる。風船がどんどん膨らむのに、どこまで行っても割れずに膨らみ続けている、そんな圧倒感が心地よい。
 東京や仕事や人間関係や人生や、時として己自身にまで疲れ、憤り、みじめになり、たまには酒に潰れたりもしながら、ここまでの文章をここまでの量と頻度で書き続けるそのエネルギーには、瞠目する他ない。自己をたどり、それを言葉に現す作業にとても秀でている。(彼女の名誉のための註釈:サイトにあるのは暗い話しばかりではないです。それに、実物は洒落た素敵な女性です)

 残念ながら、この文章には結論が存在しない。総括は元より、中間報告にすらなっていない。読者からいただく感想へのお礼の気持ちをこめたフィードバックと、自分に対しては現在の立脚点の整理として。


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