歓迎光臨

 この一ヶ月ほど、知り合いが何人か集中してバンコクへやって来た。いくらメールが便利だろうが、ウェブでお互いの近況を知っていようが、酒を酌み交わしながら気楽にしゃべることのできる相手を眼前にするというのは、外国に暮らす身としては切実にありがたい。ハワイでもバリでもなくバンコクで、しかも中には「僕がいるから」ということを理由の一つにしている人もいて、感謝である。
 大体バンコクに個人で来る人というのは、自分で行動して楽しくやっていくものだから、こちらもどこを案内しようか、などと悩まなくてよい。プラスアルファについては、僕がとりあえず現地在住として持っている現実的、具体的な提案さえすれば、あとはその人自身の行動力である。特にカオサンに泊まってる旅人なぞは、一緒に酒飲んで後はほったらかしである。帰りのタクシーで、500バーツ札と100バーツ札を間違えて渡してしまい、翌日「しまった」と思おうが、極端な話し、知ったこっちゃない。(実話である)
 だけど、そうも言ってられないカップルが来た。しかも10日ほどの長めの日程をとって。僕をこの世にあらしめた責任者である。事前のメールでのやりとりで、ある程度の方向性と行く場所を決めておいたのが、そのスケジュールは基本的に音を立てて瓦解している。計画に沿って進んだのは、初日だけである。この日は、ホテルで待ち合わせてチュラ大と僕の家を見せて、シャングリラホテルの船で、チャオプラヤ川クルーズディナー。これは大成功だった。
 二日目の昼食。学校の昼休みを使って両親と共に食事。そこから王宮までタクシーに乗せて、あとはワット・ポーやら博物館やらワット・アルンやらの、いわゆるバンコク観光のハイライトを自分たちでやってもらう算段だった。予想外の展開は起こるものである。ここ数週間見ていなかった大雨来襲。結局午後はタイマッサージと買い物に変更である。
 結果、翌日から冬休みに入った僕が案内して、バンコクハイライトをやることになった。ちなみに、この前の晩は、僕は朝の5時まで知り合いの家で忘年会だった。自業自得だが、へとへとである。
 王宮なんて6年前に一度入ったきりだ。「あれは何だ。これは何だ」と質問されても「入り口でもらったパンフ見てや」としか答えられない。3年前にツアーで来たことのある母親の方が詳しかったりして面目なし。
 四日目。起床にものすごいエネルギーを要する。気は遣わない相手だが、予想以上に体力を使う。しかしそれにしても両親はけろっとしている。特に父親は、従来の習慣をきっちり守って、早朝にルンピニ公園でジョギングまでしている。
 「そろそろ疲れてない? 暑い国やし、無理したらあかんで。遠慮せんと言ってや」と、孝行息子を装いつつ、スターバックスのソファ席で、コーヒーを飲みながらしばしぐったりしたいのは僕の方である。親の返事はあっけらかんと「全然大丈夫」であった。
 母親の注文、「汽車で南に下りたい」に従って、ホアヒンくらいまで下りてバスで戻ってくるかと考えていた。でも、ホテルから駅へ向かうタクシーの中で、運転手がアユタヤを薦めた瞬間、「ほな行こか」と早変わり。既に二度行ったことのあるアユタヤなので、楽と言えば楽ではあるのだが。
 トゥクトゥクを雇って、かなり広範囲を回った。せっかくだから、僕も行ったことのない場所へも行ってみたかったのだ。でも、肉体的に疲れた。そう言えば、朝から文字通り何も食べていない。バンコクへ戻る汽車を待つ駅で、焼き鳥を数本とカオニャオ(タイ米の餅米)とシンハビールを買ってきて、軽く胃袋に入れるつもりだった。が、横から僕のものじゃない4本の手が伸びてきて、見る間に僕の食料が僕のものじゃない胃袋に収まった。ビールも二口ほどしか飲んでいないのに。
 夜はそろそろ相手の身体も慣れてきただろうと見計らって、屋台で夕食。チムチュムというイサーンの鍋である。途中でやってきた象に20バーツのサトウキビを買い与えて、両親は大はしゃぎ。
 三日目は広東でタイスキの昼食。ちょっとした買い物に付き合って、両親はそれぞれの道へ。父親は一度既に行ったマッサージ屋へ。母親は足マッサージ希望で、僕も経験してみたかったので、そちらへ付き合う。夕食は一軒家風のヴェトナム料理屋。雰囲気も料理もサービスも、それなりに洗練されていてよかった。
 そして明日31日は、空港まで送り届ければとりあえず年内はおしまい。彼らがアンコールワットから戻ってくるのは2日のこと。それまでにやるべきは、先生から「これは新年向けだから」として渡された少なくはない課題。そして今のコースの総復習。
 いや、その前に何より、休養だ。

*ちなみに、バンコクにいるこの手の象について。農繁期が終わり、仕事のなくなったイサーン地方の農民がはるばる象と共に歩いてバンコクへやって来る。そこで餌やりをサービスとして売り歩くのである。バンコクへの象の流入禁止という法律だか条例だかが制定されているのだが、現実的にどこにでもいる。尻尾に赤い反射鏡をつけた姿はかなりかわいい。だけでも、その向こう側を見ると、イサーン地方の農民の厳しい現実というものがある。特に今年は大洪水で、かなりの収穫がダメになったのだ。


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