外国

 これはバンコクの特性なのかもしれなく、あるいはただ僕とこの街との相性みたいなものに過ぎないのかもしれないが、暮らしている中で「外国にいるんだ」と意識することはさほどない。
 だけど、いくらここを気に入ってずっと居続けたいと思っても、それは日本のどこかの街で実行するほどに簡単な話しでもない。外国籍を持つ人間にとっては、パスポートの携帯は法的義務だし(実際には家に置きっぱなしだけど)、何よりもヴィザの問題がある。ヴィザ関係の事務手続きをする度に、「ああ、僕は外国人なんだ」という思いを新たにする。
 今持っているのは、非移住者向けの教育ヴィザである。有効期間は90日間。それ以上の滞在を希望するならば、期限が切れるまでに出入国管理事務所に出頭して、書類を書いて料金を支払って、さらに90日の延長手続きを取ることになる。教育ヴィザであるからには、正当な機関による「この人物は確かに在籍しておる云々」という書類も必要になる。僕の場合は大学の事務室で発行してもらう。
 数ヶ月前にヴィザを申請したマレーシアのコタバル領事館では、シングルエントリーしか取得できなかった。一度国外に出たら効力は切れてしまう。
 この週末にふっと大阪に戻ることになったのだが、有効期間はまだまだ残っているのでもったいない。そこで、再入国許可を取ることにした。シングルではあるが、一回に限っては外に出て戻って来てもよいですよ、というもの。
 午後3時に授業が終わって、タクシーを拾ってオフィスまで。出入国管理機関を表すタイ語を直訳すると「入国者検査事務所」と言う感じになる。建物の中は、外からこの国に入ってきている人たちで賑わっていた。カウンターの向こうの職員はマスクをしている人が少なくない。
 SARS(Severe Acute Respiratory Syndrome;重症急性呼吸器症候群)の感染を防ぐため、外国人の集まるワールドトレードセンターやエンポリアムなどの市内数カ所には出入りを控えるように注意が喚起されている。来るまで全く思い至らなかったけれど、ここだって各国人が集中する場所である。ただ、買い物は先に延ばすことができても、ここでの手続き関係でそんなわけにはいかない。
 僕の数人前に並んでいた、中華人民共和国のパスポートを持ったおじさんが「この時間の申請なら、受領は明日になる」ということを係員に言われて、なんだか困っていた。すぐ隣にいたおばちゃんが中国語に訳して伝えていたのだが、彼女はけろけろけろっぴのかわいらしいマスクをしていた。正確には、片方の耳からぶらさげて、大きな口を開けてしゃべっていた。これじゃあ意味がなかろう。
 4月9日付けの「ポストトゥデー」紙で、タクシン首相がマスクをつけずに空港の検査所を訪れるというパフォーマンスと共に、首相自身によるSARSに対する安全宣言が報道されていた。タイで発症した人は他国からの入国者ばかりで、速やかに適切に管理されたために国内での新たな感染は防がれているとのこと。さらに、国内でSARSによる死亡が出たら、政府がその家族に100万バーツ(約290万円)を支払うとまでも。
 どこまで信用できるかは分からないけれど、科学面を読んでみても、そう簡単に感染することはなさそうだ。だけれども、週末に日本で会う人たちにしてみれば、僕は「感染者が出た外国からやって来た人間」である。多かれ少なかれ心配してくれている人たちもいる。
 日本で見る外国のニュースと、実際にそこで暮らして感じることとのギャップというのは、少なからずこういうところに現れる。    


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