三分の二

 タイ滞在の間に行いっておきたい観光地が三カ所あった。いずれも日本にいた頃から人伝やガイドブックからの情報でそそられた土地である。カオプラウィハーン遺跡(カンボジア国境にあり、交通も結構手間で、何より観光できるかどうかが流動的)はまだだが、内の二つは達成。一つは国立公園にも指定されているシミラン諸島で、今年の2月に4泊5日のダイビングクルーズに行って来た。
 そして、先週、土日を使って、いわゆる「首長族」の村へ。メンバーは僕を含めて3人。飲み友達。
 まずはバンコクからチェンマイへ1時間のフライト。プロペラ機に乗り継いで30分、最北西の県であるメーホンソーンへ。
 初日は近郊の温泉と町中をトゥクトゥクでぶらぶら。空気は軽く風が涼やかだ。ここは、旅人にとっての「当たり」のにおいのする所だった。最後に整備されて10年も経っていないのではないだろうか、名所や通り名の標識などは明確で、小さいながらに全体に清潔で端正な佇まいであった。
 町の中心部に池があって、風が心地よい。寺はミャンマーの影響も大きく受けており、バンコクで見かける様式とはまたひと味変わっている。境内にはビルマ文字も散見された。こことは違うが、旧日本軍が滞在していた寺もあるという。
 日曜は朝9時から夕方4時まで運転手込みでジープを借りて北へ向かう。午前3時頃からの大雨に眠りながら一抹の不安を抱いていたが、よい天気。だいたい観光地が一直線上にあるので便利である。ガイドの彼によると、SARSの影響で観光客が減り、実に7日ぶりの仕事だと言う。
 一人が持って来てくれた「歩き方」によると、首長族という呼称はふさわしくなく、正確な固有名詞で呼ぶべきだという記述があった。そもそもはビルマからの難民だとのこと。だけど、僕はその固有名詞を覚えていない。
 彼らの村はいくつかあるらしいのだが、僕らが訪れたのはメーホンソーンから車で30分ほど南に下った山の中。入村料が250バーツ。土のままの小道の両脇に、高床の木造の家が左右に並ぶ。軒先には土産物を並べている。特に欲しいと思うものはない(宛先を考えることもなく、絵葉書を2枚だけ買った)。下は5歳くらいの子から、上は老人までそこかしこに長い首の女性がいる。写真は気軽に撮らせてもらえる。出発前に大学の先生が「結婚前に不貞を為した女性への罰は、その首輪を外すこと」と教えてくれた。「首が据わらず、寝て暮らすしかなくなります」
 でも少なくとも観光で数十分訪れた分にはもちろんそんな光景にはお目にかからない。国という概念で切り取られ、今は観光を生業とするこの人々の村は、バンコクと比べるまでもなく決して裕福なようには見えなかった。
 その後は北上し、神聖な魚が集まるという洞穴(穴は小さく、魚も別になんてことなく)や、滝(足を滑らせて半身濡れた)、山道をずっと上ったミャンマー国境近くの中国国民党の人々が暮らす村(中国のお茶を二種類ご馳走になった)へ。最後には、泥に効用があるという温泉で全身泥まみれ。エステというのは始めてだったが、意外にも気持ちのよいものだった。
 タイ国内旅行も飛行機を使ってしまうと実に楽なもので、わずか二日の日程だったがずいぶんと密度が濃かったように思う。学生時代の旅行と比較すると、もちろん自由になるお金が増えているということと、タイ語がある程度使えるという便利さがある。だけど、「世界でそこだけ」を求める楽しさと、想像では決して及ばない現実を目の当たりにする快感はいつだって。


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