「食っちゃ寝の虎」 | → | 自分は労力を割かず、利だけ持って行こうとする人 |
「空腹の虎」 | → | 物、金、人、地位など何でも欲しがる人 |
「虎に対して気持ちを整える」 | → | 恐ろしい状況にあって、平静を保つ |
「象に乗ってバッタを捕まえる」 | → | かけた分に見合うだけの結果が得られない |
「象を見るときは尻尾を、 女性を見るときはその母親を見よ」 | → | 尻尾の色でその象が白象かどうか分かる(白象はよい存在)。 女性なら、母親で判断できる。 |
「糞をする象を見て、自分も糞をする」 | → | 金持ちでもないのに、そのように振る舞う |
比喩の決まり文句もある。「茹で鶏のように青白い(顔色)」、「ネズミの巣のように散らかっている」「(闘鶏で)目の潰れた鶏のように、何も分からない」などなど。「透明」であることを例えるには、例えられる物によって言葉を使い分ける。「ガラスのように透明」は水の様子、「草の露のように透明」は人の性格、「バッタの目のように透明」は熟成された酒をそれぞれ表す。
氷室冴子の小説に「海が聞こえる」というものがあった。アニメ化もされていた。高知を舞台にした、卒業を控えた高校生たちの青春群像だったように記憶している。でも、タイ人に「海が呼んでる」と言われたら、恋も青春もあったものではなく、決して喜ぶべき状況ではない。
これの元には、「塩のようにしょっぱい」という言い回しがあり、ここでは味覚そのものを示すのではなくて、性格が味覚に例えられている(ご参考:「あなたのお味は? 」)。塩味で例えられる性格は「ケチ」。と言うことはつまり「海が呼んでる」は、「あなたみたいなケチな人は海水にでも漬かってれば」という、辛辣な皮肉になる。
習った中で僕が一番好きなのは、「簡単」を表す「バナナをむいて口に放り込むくらいに」という比喩。ここから転じて、昨今では「その話、バナナ・バナナだね」という表現が使われる。すごく可愛い。