教えてあげる

 ふとしたきっかけで知り合った、チュラ大で日本語を教える先生の紹介で、日本語学科の3回生と交換教授をしている。空いている日と時間帯をその先生に伝えて、一通りのスケジュールが組まれたが、後は学生と話しをして自由にやってください、と。僕はだいたい木曜と金曜の午後を4時間ほど。1時間に一人ずつ、30分をタイ語で30分を日本語で会話する。
 日本人の口からよく語られることだが、こちらの学生は同年代の日本人と比べると幼い気がする。制服を着ているからというのもそう見える小さくない理由かもしれないが、キャラクターとしても確かにそう感じられる。
 事前にその先生からも「あまり突っ込んだ話題は期待しないで下さい」と言われた。社会への興味関心や読書量、あるいは恋愛に関する話題など、大学生というイメージから期待される像には物足りないこともなくはない。新聞の一面記事に関する質問をしたとき「私、このニュース知らないから……」で済まされてしまったこともある。でも、実際問題、僕が二十歳だったころにどれくらい大人だったかなんてとてもじゃないけど正確には思い出したくない。あまり彼女らのことだけを言うわけにもいかない。
 学生の一人に、おそらくはタイ全土でもトップグループに属する高い日本語運用能力を持った学生がいる。「とにかく、日本/日本語/日本人が好き!」というオーラが全身から溢れている。そのエネルギーは正しく日本語習得のために費やされているので、おそらくは姿形を見ずに会話をしていたら、彼女が外国人だと気付くにはかなりの時間がかかるのではないだろうか。
 伝聞の話題で恐縮なのだが、チャットをしていて(もちろん日本人と日本語で)「どこに住んでいるの?」という話題になったとき、彼女がインターネットの海に打ち込んだ返事は「う〜ん、南の方」であったそうだ。
 キャンパスで顔を会わせた時に、ふとおちょくってやろうという悪戯心から「お、今日はまた一段と可愛いねえ」(ほとんどおっさんのコメントである)と言ってみたら、その反応たるや……「またまたぁ、そんなホントのコト言って!」であった。君は大阪のおばちゃんかと突っ込みたくなるほどの凄まじさである。
 彼女との初回のレッスンで教えたフレーズは、「座布団一枚!」。おそらく教科書には出てこないけど、日常会話で、あまり年齢や性差に依らず使える便利な一言だ。「対義表現には、『座布団全部持って行きなさい』というのもある」などとも。こういうのは楽しい。
 僕は今のところ毎日の新聞記事を二つほど拾って精読しているが、その不明瞭な部分を尋ねたり、パラグラフをいくつか読み上げて発音を矯正してもらったりしている。
 昨日、久しぶりにサイアムスクウェアにある大学のブックセンターに寄って、ヌイという歌手の闘病エッセイを買ってきた。これは友人(日本人)から薦められたものなのだが、語彙が軽めなので、ざっくり読むにはちょうどよさそうだ。
 有名な人らしいので、彼女たちとの共通の話題にもしやすいだろう。だけど、ちょっとした問題は、この逆が成り立つのは非常に困難だということだ。つまり、日本語学科の学生には「ジャニーズJr.の○○が好き!」という人が少なからずいて、日本人であるはずの僕がその手の話題にさっぱり応答できないことがままある。


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