雨と新聞とコーヒーと

 この2週間ほど、雨季という名にふさわしく、雨がよく降るようになった。強烈な雨粒と激しい風。ぽつりと来たなと思ったら、空を見上げて確かめるほどの余裕もなく、あっと言う間に轟音と水煙に包まれる。それが風に煽られると、白いカーテンのようにも見える。この情景は、自身が屋内に留まっている分には快感ですらある。
 ある程度以上降ると、「大きな水溜まり」を越えて、「ちょっとした洪水」と呼ぶ方がふさわしい現象が発生する。おもしろいもので、場所によって高低の差があって、溢れやすい道とそうでないのとがある。例えば、最近僕が暮らしている近所では(実はまた引っ越した)、スクンビット通りの11番目の路地なんかがそうだ。自動車の車輪くらいの高さまでは簡単に水が溜まる。でも、1ブロック隣の13番目の路地はそんなこともない。
 首都圏の天気予報は毎日のように「日中は雲が発生し、雷雨。午後から夕方にかけては激しく降る」だけど、実のところ書き出しはどの地方も「雷雨が……」である。そういう季節なのだ。
 ポストトゥデー(タイ語経済紙)をほぼ毎日BTSの駅の売店やコンビニなどで買っている。少し前までは、ピックアップされた記事を課題としてひいひい言いながらこなしていたのだが、次第にかける労力が減少してきている。ざっくりと新聞全体を流し読みできるようになってきた。
 その中で、一面トップと社説の辺りを拾って辞書を片手に精読している。最近僕が興味を持って眺めているのは、
・「ソープランド経営者が警察に大規模に賄賂を支払っていたことを詳細なリストと共に暴露。政府の対応の一つに、各種罰金額の値上げ(賄賂をもらうより、適法な金の取り方をせよということのようだ)」
・「Big D2Bという男性アイドル歌手が、壊滅的に汚濁した水が貯まる運河に車ごと落ちる。病原菌が脳に入り危険な状態続く。人工呼吸器を外すかどうか。ファンが集まり千羽鶴を折ったり、お祈りをしたり。その分、学校を長期欠席する問題も」
・「ロシア語・中国語などを操る外国人観光ガイドの容認案と、ガイド業界からの反発」
・「アユタヤでJIのテロリスト逮捕。APECに向けて緊張走る」
・「タクシン首相の、次から次へと出てくる、大衆迎合的金銭ばらまき政策(としか見えない。財源はどこだ?)」
・「10月14日を、『民主主義記念日』と呼称するか否かの論争(1973年のこの日、タマサート大学の学生を中心とした大規模な運動により、軍政が廃止され民主主義憲法制定への道筋が開かれた。過程で、多数の死傷者、今なお行方不明者も)」……などなど。
 まだまだほんの表層を知るに過ぎないが、出会うニュースに日本とは確実に違った価値観や考え方を読みとることがある。
 バンクーバーで流行しているSARSの派生種の問題は、ある日の一面トップだった。日本の新聞では小さな扱いだった。方や、日本のメディアをあれだけ賑わせたニューヨークの停電は、外報面でその他の記事と同じような扱いだった。
 技術とか発展とかという意味合いでいけば、「人工衛星を使ったインターネット接続サービス。月3000バーツ(9000円弱)で、下り256kbps」なんていうのが特集されていたりして、こういう辺りは日本が羨ましい。今の僕は56kbpsのダイアルアップ。一通話3バーツという電話代の安さがせめてもの救いだ。
 所詮、他人事ではあるが、「おいおい、そりゃないやろ」と突っ込みたくなることもある。でも、日本の報道を見ていたってそういうことがないかと言ったら、そんなことは決してない。結局、大差はないんじゃないかという気もする。
 今日も雷雨の前に新聞を買ってスターバックスにこもることにしよう。雨が上がる夜には、さっぱりした空気の中を家に向かって歩く。ザックには重たい二冊組の辞書、頭の中には少しだけ増えた知識と共に。  


戻る 目次 進む

トップページ