ぎゅっと一搾り

 例えばジントニックを頼んで、レモンではなくライムの輪切りがついてくるとちょっとうれしい。だけど、これは日本での話し。タイでは逆に、レモンという果物をまったくと言っていいほど見かけない。ホテルのバーだろうが、タイ航空の機内だろうが、場末のスタンドのような飲み屋(バー・ビア)だろうが、ジントニックに限らず、日本ではレモンが用いられるシーンでグラスに浮かんでいるのは、大抵の場合マナオと呼ばれる柑橘類の一種である。
 このマナオ、英訳するとライムである。直径4センチほどの球状で全体が濃い緑色。ころころとまん丸いので、タイ語には「マナオのように丸い」という比喩表現まである。知らずに見たらまるでスダチのようである。スッキリとした酸味で、レモンほどツンとしない。
 タイ料理には頻繁に用いられ、味がピンと引き締まる。タイ風焼きそば(パッタイ)や、焼き飯の皿の端にも一切れ添えられる。皿全体に回しがけしてよく混ぜると、油っ気が緩和され一層美味しい。シロップと氷と共にミキサーにかけられたマナオシェイクは、まさしく一服の清涼剤。個人的には、熱帯的にねっとりと甘いマンゴーを食べるときにも欠かせない。
 でも実は、これらに限らず用途は広い。ここ最近、平日は朝の6時半くらいに起きているのだが、目覚めの一杯は冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターに半分に切ったマナオを搾って。冷たくすっきりと身体が内側から覚醒していく。
 僕はサラダやマリネのドレッシングにも酢の代わりにしたり、ピータン豆腐のタレの隠し味にも使っている。
 最近、我ながら大当たりだった料理がある。ほうれん草とか小松菜とかも売られているけれど、当たり前のことだがタイ人に一般的に好まれる野菜の方が値段が安い。青菜と言えばまずは空芯菜(パックブン[タイ]、エンサイ[和])である。全体も葉の部分もすっきりと細長く、その名の通り茎が中空になっている。葉はわずかにねっとりとし、茎の部分のしゃっきりした歯応えは火を通してもあまり失われない。ニンニクや唐辛子をふんだんに使い、豆醤やオイスターソースでこってりと炒めたパット・パックブン・ファイ・デーン(直訳すると「赤い炎の空芯菜炒め」)は、日本人の口に合う代表的なタイ料理の一皿で、僕も好物。
 だが、これの対極とも言える、あっさりとしたおひたしに仕立てても意外にいけるのだ。洗った空芯菜を適当な長さに切り、皿にのせてラップをかけて電子レンジ。火の通ったそれをザルにあげて熱をとり、鰹だし、塩、醤油、味醂、そこにマナオを加えた汁と和えるだけ。
 元々僕は野菜を好んで食べるが、これはその中でも数年来の大発見。マナオの酸味が鰹の香りと相まってしゃくしゃくしゃくしゃく、いくらでも口に入る。塩気は薄目に作るので、だし汁の最後の一滴まで残さず飲み干す。
 食べ物の話しにしても、どうしても外国で暮らすことの不便は避けられない。生卵に少々腰が引けるバンコクでは、卵ご飯が食べたくってしょうがないときもあるけれど(それでも決して無理ではないあたりがバンコクなのだが)、逆にこうやって意外な新しい出会いもある。
 祖母が福島県のとある漁港近くに住んでいるので、秋になるとピチピチの秋刀魚をトロ箱に詰めて大量に送ってくれていた。想像を巡らせてみると、マナオを搾った醤油は、脂ののった秋刀魚の刺身にもよく合うと思うのだけど、いくら今年は豊漁と言えどさすがにちょっと黒潮は遠い。残念至極。  


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