蓋を開けると

 弁当箱にはたぶん、ご飯とおかずと幸福とが詰まっている。だから蓋を開ける瞬間はいつでも幸せなのだ。
 小学校二年生の秋だっただろうか。遠足で須磨浦へ出かけた。弁当箱の包みを解くと、小さな紙片に母親からのメッセージ。ほんの数行の手紙だったけれど、最後の一文が「母さんは海を見るのが大好きです」だったことを何となく記憶している。子ども時代は周囲と異なることをとても嫌ったので、大多数のクラスメートの弁当箱にはそんなものは入っていなくて、おかげで彼らから好奇の目で見られたことに羞恥を覚えた。だけど、今となってはそういうことをすごく懐かしくありがたいことだと思い出す。
 中学校に上がって、毎日の昼食は弁当になった。小学校時代の給食にはあまりいい思い出がなかった。火を通されすぎた野菜、べたべたした臭いご飯、すかすかのパン、そして悲劇的な金属製の食器。僕にはあれらが食べ物だとは思えなかった。どうしても嫌な日には学校を休んだことすらある。進学したことでの最大の喜びは何より弁当だった。これからは、自分の食べたいものが食べられるのだ。
 だが、事態はそう簡単ではなかった。おかずとご飯のしきり板がどの辺りに来るかで、母子で毎日のように攻防が繰り広げられていた。「おかずとご飯は8対2くらいでいい」というのが僕の主張だった。しかもそのおかずも、例えば大きなハンバーグが一個入っていたって、満足度は低い。量は少なくてまったくかまわないけれど、むしろ種類の多さを必要とした。思えばその頃から典型的な酒飲みの兆候があったのだろう。
 だけど、作る方にとってはそんなのは手間でしょうがない。育ち盛りの男子を相手に、毎日要求に応じているわけにはいかない。敵も然る者、見栄えでごまかそうとパセリやサニーレタスで飾ったり、余った空間にプチトマトを入れたりと、できるだけ省力しながら嵩を増やそうと努力していた。
 ここ最近、昼食用に自分で弁当を作っているのだが、中高時代と比べて異なることが二つある。何よりも大きいのは、ご飯をおにぎりにしていること。海苔の香り、ほのかな塩味、口の中でほろほろっとほどける米粒。梅干しを入れて握って海苔を巻くというだけなのに、不思議と美味しさが増す。
 そしてもう一つ。我ながらしみじみするのだが、以前はよくもあれだけ食べていたな、ということだ。今の弁当箱は、当時の半分くらいのサイズしかない。それに、ご馳走だと思っていたはずの揚げ物にまったく興味が向かない。
 朝の限られた時間にどたばたと詰めていると、今更ながら親の苦労を実感し感謝の念を抱くこともある。同時に、我ながら苦笑することもある。当時は前夜のおかずがそのまま入っていると「手抜きだ…」とがっくりきたものだが、今はむしろ夕食の時点で弁当にしやすいものを考えて、あらかじめ取り分けておくことを常としている。そして、あともう一品というとき、手を伸ばす先にはプチトマト。


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