クラトン流し

 切なく甘い言葉、瞳の奥の柔らかな光、かつて存在した心の疼き。静かに深い記憶の淀みに漂う小さな欠片には、時折そっと掬い上げて懐かしむものと、できることなら全てを流れ去るままにしてしまいたいものとがある。
 雨季が果てた旧暦12月の満月の夜、人は水辺に集い、クラトンと呼ばれる灯籠にも似た物を流す習慣がある。古くスコータイ時代から伝わる行事である。贖罪の意があるとされる。
 チャオプラヤ川はもとより、運河や大きな池など、水がある場所で広範に行われる。BTSも終電を延長するほどの大きなイベントだ。
 チュラ大のキャンパスにある池にも学生が集まって来るらしい。昨年、フランス語学科の学生から誘われた。「ケイさん、クラトン流しの日にはチュラに来て下さいね」
 夜の水辺に揺れる蝋燭の炎。ロマンティックな気分になるのは当然のことである。そんな所に僕を誘う彼女は……と、いう思いは次の一言であっけなく砕けた。「クラトンは私たちの出店で買ってね」
 そんなことがありつつも、昨年は所用がありタイにいなかったので、今回が初めての体験。チャオプラヤ川を目指す。
 タクシン橋の東岸は、船着き場でもありBTSの終点でもあり、大勢の人が繰り出している。普段はこの人たちは何を商っているのだろうと不思議に思うが、川へ通じる通路の両側にはびっしりとクラトン売りが集まっている。
 陳列された商品の後ろ側では、次々と新たな品の製作に精を出している。バームクーヘン状のバナナの茎の周りに、色の濃いバナナの葉を王冠のように巻き付け、とりどりの蘭の花で飾る。大きさもデザインもじっくり見るとどれも少しずつ違っている。二つばかり気に入ったのを買う。半ば洒落だろうか、缶ビールの底の部分を用いて、縁を上手に細工し、中に蝋燭を仕込んだクラトンまである。緑色のハイネケンの缶を一つ。
 船着き場で、人混みに押されながら我が身が落ちないように注意して、蝋燭と線香に点火。よくしたもので、竿の先に皿を取り付けたような道具を持った係の人に渡すと水面に置いてくれる。それらが岸に留まらないように、子どもたちが「10バーツだよ!」と声を上げながら泳いで運んでいく。
 雑踏はその雰囲気を味わえば十分。渡し船に乗り、ペニンシュラ・ホテルへ。川に面したジェスターズ・バーは、いつもとはうって変わってほぼ満席。エアコンの中で、一面の窓の向こうにちろちろと揺らぐ炎が静かに流れていく様を眺める。聞いていた通り10時半を過ぎると、川の中程の船から花火が上がる。席を立ち窓辺に立って、空までは届かないそれを見遣る。
 花火が果てる。一瞬の闇の間隙をおいて、周囲で待機していた舟がまた一斉に走り出す。川面が賑わう。
 無数のクラトンは、穏やかなチャオプラヤの流れに乗って、少しずつ下って行く。途中で闇の川底に沈む物もある。泥に包まれたそれは、流れて行くこともなく、再び掬われることもない。ただじっとそこにあり続ける。かつては美しい花で飾られていた。


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