西へ、東へ
旅を思うとき、路程の決められ方には二通りある。ある街を目指す場合、点として設定された目的地へ至るまでが路程となる。既にその街に存在している意識を現実の肉体が追いかける道。それは二義的である。
一方で、路程そのものが心を揺さぶり、目的その物となる場合がある。通ること、あるいは通り抜けることに主眼が置かれ、むしろ通過される各点の方が結果となる場合。これに用いられる語彙、すなわち例えば一周、縦断、あるいは横断と言った言葉に適当な地名を拾って組み合わせれば旅ができあがる。そして、それぞれは簡明な表現でありがなら、なお特別の感慨を惹起する。「インド一周」「南米縦断」「ユーラシア横断」……。
一周に関して、僕も近い過去に二つばかり案を持っていた。一つは、スターアライアンスを使った世界一周。日本発にするかタイ発にするかをまず検討し、その次は方向について悩んだ。太陽を追うのか、夜を求め続けるのか。旅のやり方として、先進国と発展途上国のどちらを先にした方が楽だろうか。荷物を少なくするためには、南北の半球のそれぞれ夏の季節に合わせてうまい具合に行き来することも必要だ。
現実的ではないと知りながらも、環太平洋を巡る旅についてもを思案を試みたことがある。移動は主として船により、各地で海に潜る。
バンコクの一隅で過ごすある夜。メールをチェックし、いつものサイトを訪ね、最後にアサヒコムへ。だがそこで、アジアハイウェイ計画についての記事の見出しを目にした瞬間、パソコンに向かっていたはずの僕は、大陸を疾走する。
それは、アジアを横断する高速道路の計画に日本が参加を決定したというニュースであった。
構想の歴史は長い。1959年に15カ国の参加をもって立ち上げられた。内の一つはまだ南ヴェトナムだ。その後、インドシナ周辺でいくつかの戦争が勃発する。そして1975年に、国連開発計画による経済援助が打ちきられ、一度は挫折を見る。だがその後、世界史的なアジア情勢の変動に伴い参加国が増加。
そして今年、バンコクで開催された国連のアジア太平洋経済社会委員会の専門家会合にて、日本の参加が決定。それに従い、東の起点がそれまでの釜山から東京に移る。
目的は、大陸を貫く一本の道の新設にではなく、現存する道路のネットワーク化にある。87の路線、総延長14万キロ。大部分は既に整備済み。
1号線は、日本、韓国、北朝鮮、中国、香港、ヴェトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、バングラデシュ、インド、パキスタン、アフガニスタン、イラン、そしてトルコを結ぶ。「AH-1」で示される標識をたどって行けば、東名高速の東京インターチェンジからバンコクも、遙かイスタンブールも見渡せる日が来るのだ。アジアハイウェイ1号線に乗って、東京発アジア横断。あるいは東進ルートを選択すれば、東京で終わる旅。
砂埃、濃密な花の香り、熱い風、痺れる冷気、市場の雑踏、静寂の朝、祈りの唱和、酔いの高揚。馳せる意識は夜の肉体を置き去りにしてアジアを駆け巡る。
参考: Asian Highway (AH) Homepage
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