落ち着かなくて
常に何かをしていないと落ち着かない性分である。別に行動的なわけじゃない。むしろ身体的な動きは伴わない。感覚のどれかが常に刺激を受けている状態を欲する。読書でもいいし、酒を飲むでもいい。
あるいはお喋りをしているでもかまわない。ただ、それでも相手の言葉にじっと耳を傾けているというのはできなくて、思いついたことをぽんぽん言葉に出してしまう。人の会話に余計な口を挟んで、自分でもしまったと思うことがままある。ものすごく社会性が低い。
どうしようもなく何もないときは、どうしようもないことを頭の中で考える。思索とか想像とかではなくて、きっぱりと妄想という言葉をあてるのがふさわしいようなことを。
移動の際には、日本ではずっと音楽なりラジオの録音なりをヘッドフォンで聴いていた。ただ、歩く、ということも苦手なのだ。なんだかすごく時間を浪費している気がする。貧乏性なのだろう。
でもタイだと刺激の方が飛び込んで来てくれて、それはそれで十分に何かを得ている気になれる。肉を焼く煙や、屋台の大鍋から漂うだしの湯気。タイ文字の看板を読むのも、他人の会話を小耳に挟むのも僕にはとても興味深い。ビルの合間に見上げた熱帯の青い空。そういう存在が常にバンコクに暮らす喜びをかき立ててくれる。
でも、つい先日iPodを手に入れた。発売当時から欲しかったのだが、ついに、である。ちょうど新バージョンが出たところだった。
その愛くるしさを賞賛するのは、僕がMac好きだという好意的な立場を差っ引いたとしてもなお余りある。箱からそっと取り出した実物は、期待よりもなお一層頬を緩ませる。手に持ったサイズといい、重量感といい、ボタンの配置といい、バックライトの色といい、アップルマークのタグがついたケースさえも、何もかもが素晴らしい。と、言いたいところだが、正直、ヘッドフォンとリモコンとそのケーブルはいただけない。何だかのっぺりと奥行きがない。
iPodと共に街を歩く。ただし、日本で同じことをするよりもボリュームは少し絞り気味で。その分、外界への注意を鋭くさせる必要がある。バイクが平然と歩道を走って来たり、犬がべたっと寝ころんでいたり、道に穴が開いていたりするからだ。iPodと共にBTSに乗る。車体のデザインが優れているので、相俟ってこれは少々絵になるかもしれない。iPodと共に昼休みのスターバックスでコーヒーを一杯。様になり過ぎているきらいがある。でもこういうのは好きだ。
だけど実のところ、手に入れた次の日の夜に僕がiPodを連れて行ったのは、日本式マッサージ屋さん。背中と肩が凝ってどうしようもなかったのだ。顔の部分に穴の開いたベッドにうつぶせになり、肩や腰をぐりぐり揉まれ、痛みと快感とに身悶えしながら、耳から音楽を流す。まったく様にはならないけれども。
月曜の朝、今日は何を聴きながら出かけようかと思案して、充電の終わったそれをそっとカバンにしまいこむ。年間で唯一涼しいと言えるこの時期の、常よりは乾いた朝の空気の中を機嫌良く歩く。と、BTSの駅に着く直前で思い出した。せっかく作った弁当を持ってくるのを忘れた。
あれやこれやと刺激を欲すれども、関心が一つ所にしか向かない。困ったものだ。
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