とりあえず角煮

 肉は市場のみならず、どこのスーパーでも豪快に売られている。一羽丸ごとの鶏や、ごろりとしたスペアリブ、舌に尻尾。内臓の各部位はもちろん、血をぷりぷりに固めたものなどなど。パックもあるけど、量り売りも充実している。
 塊の豚バラを買ってくる。皮に残った毛を焙って落とし、一口大より少々大きめに切る。水で下茹でして脂を抜いて、ネギと生姜とニンニクと香りづけの八角とを放り込んで、醤油と味醂(あれば日本酒)で味付けをしてゆっくり煮込むだけ。
 豚の角煮は、斯様に明快かつ単純な料理なのだが、その単純性には、手間をかけずに美味しくもなれれば、単なる甘辛い肉の塊に堕する危険性も同じように孕まれている。毛を焼かずに作ったら、意外に堅いそれが口に残って顔をしかめた。面倒くさがって下茹でを飛ばしたら、どうにも脂っこくて食べるのに苦労した。幾度かは、買ってくるのを忘れたけどまあいいかと、薬味のどれかを欠いたこともある。そうすると、時間をかけてもあまり柔らかくならない上、肝心の味もぼけてしまい、口に入れたそれが、いやにだれた食べ物として感じられてしまった。
 作る以上は美味しくあるべきだ。面倒くさがりと忘れっぽさの繰り返しの結果、そのためには手順を怠らないことこそが肝要だと、ようよう身をもって知った。これは何も角煮に限ったことでもない。非常に理解しやすい普遍性を持った事実であるにも関わらず、失敗とそれによって得られる不快な結果を実体験しないことには、それも一度や二度ではなく、身に付かないのはどうしようもない性格だ。
 ことこと煮込んでいる間に、既に部屋の中には甘い醤油の香りが漂ってくる。味見と称してつまみ食いもする。だが、やっぱり一番美味しいのは、熱々とろとろのそれに、溶きガラシをつけて、炊きたてのご飯に乗せてはふはふはふ。さっと色よく茹でた青梗菜などを添えると言うことない。白髪に切ったネギもまた、舌をぴりりと引き締める。こってりした味だが、意外に日本酒ともよく合う。
 せっかくなので一緒に煮込まれて既に形が崩れているネギやニンニクも箸でつまんで食べてしまう。しかし誤ってかじってしまうと、生姜はまだしも、八角だとちょっとつらい。どれだけ長時間火にかけていたとしても、その星形の実に残る強烈な味と香りは尽きることなく、口をすぼませるに十分な刺激が残る。
 大学の先輩に、居酒屋ではメニューを開くまでもなく、まず揚げ出し豆腐を頼む人がいた。牛タン塩焼きがあれば必ず、というのもいれば、ともあれ白いご飯から食べ始めないことには、というちょっと変わった友達もいる。
 でも、多かれ少なかれ誰にでもそういうのがあるのではないだろうか。僕の場合、豚の角煮である。家でよく作るようになったとは言え、やっぱりお店でも頼んでしまう。見慣れないメニューがあると、ついそそられて、内容も確かめずに注文してしまう傾向も持っている。その一方で、こと、豚の角煮については「とりあえず、これ」である。


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