赤いアメンボ

 「高校の部活で全国大会まで行きました」という発話から想起される部を、思いつく限り挙げてみて下さい。
 実際、僕がこのように発言することは歴然たる事実である。「2年と3年のとき、部活で全国大会に出ました。高三のときには、全国で3位の成績だったんです」
 いったい如何ほどの人の頭に浮かんだであろうか、放送部という名が。校内放送が活発だった学校の人などは、もしかしたら少しは親しみがあるかもしれない。しかし例えそうであったとしても、話しが「放送部の全国大会」にまで及ぶと、内容以前にその存在自体が想像の地平に乗ることはまずないだろう。
 NHK杯全国高校放送コンテスト・アナウンス部門第3位、というのが僕の成績である。何をするかと言うと、2分程度の原稿を作成し読み上げる。それだけと言えばそれだけである。

 そもそも入学当初の土曜の午後に行われたクラブ紹介で、アマチュア無線をやっているということを知り、それだけで選んだ。その翌年だったか、僕らが新入生に紹介する段になったときには、頭にパトライトを乗せた後輩に体育館の舞台を走り回らせたくらいにおちゃらけたクラブだった。(注釈;中高一貫なのでこのようなことがあり得る)
 お昼休みに、日本シリーズのラジオ中継をそのまま全校に流していて、生徒指導の教師が怒鳴り込んで来たこともある。無線用のアンテナに近いことから、屋根裏部屋のような場所にあった部室には、教師の目が届かないのをよいことに、男子高に似つかわしい各種雑誌がロッカーに詰まっていた。
 コンテストに出たのも、「とりあえずみんななんかの部門にはエントリーしようや」と、促されたからというくらいである。
 顧問だった物理の先生も、放送の専門家というわけではなかった。それ以前に、実質的に名目的な存在であって、そもそも部室で顔を合わせた記憶も皆無だ。それに僕自身もそんな特別に練習したわけでもない。発声練習の基礎である「アメンボ赤いな、あいうえお」で始まる五十音の練習フレーズも、実はア行のこれしか知らない。
 大阪予選があって、大阪決勝。全国大会は夏休み中に行われる。二学期終業式の日に、それぞれの部で全国大会に臨む生徒が抱負を述べることになっていた。「喉から血が出るほど努力をした結果です云々」と、全校に向かって臆面もなく嘘をついた。たぶん、苦笑くらいはしてもらったものだと推測する。
 東京に出かけ、そこで全国段階のふるい分けが2回か3回あった。10人に絞られた決勝の舞台はNHKホール。それまで読み込んできた原稿に加え、午前中に行われる番組部門の発表を見学し、そのいずれかを紹介する原稿を100字以内で書き上げ、課題として読む。100字で一つのまとまりにするというのは、時間の制約もあり、ずいぶんと緊張した。
 壇上に立ち、ライトを浴びる。マイクを自分の口の位置に合わせて調整する。「10番、大阪府……高等学校」に続き、名前を読み上げ、一呼吸置いて勢いをもってスタート。原稿を移ろうとしたとき、まずいことに痰が喉にからんだ。しかし、高性能のマイクが遠慮がちな咳払いをも拾ってしまい、ホール中に響いたので恥ずかしくなって途中で引っ込めた。仕方なく、喉に引っかかりがあるままで読み切った。
 表彰式を終えると、予想外の結果に顧問がしみじみとコメントした。受験生に向かってどうかと思われる酷な発言だったが、ずいぶんと説得力を持っており、僕も肯くよりなかった。「これで運を使い切ったやろ。受験はアカンのちゃうか」

 なんで唐突にこんなことを思い出したかというと、暇にまかせて自分の名前をGoogleで検索したら、「第50回NHK杯全国高校放送コンテスト大阪大会記念誌」なるものがPDFでアップされていて、そこに僕の名前を見つけたからである。
 そう言えば、大会会場ではよその学校の生徒と会話をするような機会も生まれるわけで、僕らにはちょっとうれしかった。そのファイルの中に見つけた相愛、樟蔭、梅花、プール、聖母被昇天……いずれも懐かしい固有名詞だ。(大阪の女子高の名称である)


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