空港にて

 マーカブーチャー(万仏節)の金曜日に始まり、土曜と日曜で三連休。最終日の昼過ぎ、コーヒーをサーバーに淹れて、マグカップとチョコレートクッキーと一緒にお盆に乗せてマンションのプールサイドへ。白いプラスティックの椅子に深く腰掛け暖かい風に目を細めていたら、真っ直ぐ南に進む飛行機がビルの向こう側の空に見えた。ドンムアン空港を離陸し、数分後の空。機内にはまだベルト着用サインが点灯している頃合いだ。
 そうしたらふいに飛行機が見たくなって、夕方に空港バスに乗った。高速道路を順調に北上し、20分ばかり。国際線出発への進入レーンのカーブを大きく曲がりながら、整列した機体がいくつも目に入る。空を飛んでいる分には小さな光に過ぎないが、こうやって間近にするとその尾翼一つとっても十分に巨大だ。
 第一ターミナルで下車するも、さて、どうしたものか。降り立つ友人を迎えに来たわけでもなければ、僕がこれからどこかへ発つわけでもない。半ば習慣的に、出発案内のモニタに記され地名を概観する。高雄やペナンなどのアジア内の近距離と、ラホールやテルアビブなどの中近東方面を目的地とする便が並んでいる。
 出発フロアから一つ上がると、滑走路に向かって開けた、人気のあまりない通路があったはずだと思い、そこの窓からしばし離発着を眺めることに決める。エスカレーターを上がると、意外なことに飲食店の案内が出ていた。看板に従って歩くと、以前は通路だったはずの場所に、店が二軒も開いている。うまく空間を利用したものだと思う。手前の店のカウンターと客席との間を通り抜け、奥の方へ。客が少なく、窓際のソファが空いていたからだ。背中のカバンを空いている隣の座席に置く。
 ゆっくりタクシングをしているカンタス航空のジャンボ・ジェットに、赤地に白で抜かれたカンガルーのマークを見て、このままオーストラリアにカンガルーを見に行くのもよいかと思ったけれど、パスポートを持って来なかった。
 スターアライアンスのシンボル、銀の星を黒い尾翼に光らせた機体が滑るように走り抜ける。よく見るとタイ航空のものだったが、普通のデザインの機体よりもぐっとシャープな感じを受ける。空を行くスピードもこちらの方が速いのではないかとも思わせる。
 窓からは、離陸用の滑走路を手前にし、並木を挟んでその向こうに着陸用の滑走路を見ることができる。プーケット・エアのプロペラ機が、左手から走ってきたかと思うと、軽々と宙に浮いた。方や、重量級の機体は、どこまで行くのだと思うほどに地面を進む。僕のいる席からでは右端の視界が途切れてしまい、ひたすらに走り抜ける姿しか目に入らない。せいぜい、前輪が地面を蹴り、機首が斜めに持ち上がり始めた程度が限界だ。
 最近、日が長くなってきていることをしばしば実感する。今日も6時を過ぎてもまだ普通に景色が見える。それでもやはり、次第に機体の各所で白く明滅するランプや、エプロンを照らし出すオレンジ色のライトが明瞭になってくる。濃度を増す夕闇から、高い機械音がより鋭く耳に届く。
 通常、空港というのは、すべからく通過されるべき場所である。離陸と同時に、視線は遙か前方に向けられる。後にされた滑走路に思いを馳せる人があるだろうか。
 その場を目指してきたはずの到着客にしてみたところで、ずっと留まることはなく、荷物を受け取るや否や立ち去ってしまう。
 空港が明確な目的地として存在しうるのは、移動の間の僅かな時間に限定される。満たされ、不要になった移動欲が、ターンテーブルで引き取った荷物の替わりに置き去られる。それらはビルの片隅で、各国の空気と混じり漂っている。
 目的地を示すタグも、セキュリティチェックを証するシールもない日常のカバンを肩に引っかけ、見知った通貨で勘定を支払う。少しだけ深く息を吸ってみた。  


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