本を読む、タイを知る
「寺に住む人々」、マイトゥリー・リムピチャート著。初めて、一冊を通して読み切ったタイ語の本である。大学3回生の頃から、中断もありつつ、タイ語の学習を続けてきた身としては、この期に及ぶまで随分と長かったような気がして、自身に少々恥ずかしをさえ覚える。
読書それ自身の楽しみのため、そして学習のためという自己強制的な意味合いとの双方から、毎日のBTSの車内で少しずつ繰っていった。読み切った理由の大きなものは、この本が今の僕のレベルにとって難しすぎず、かと言って軽すぎることもなく、何より内容がいかにもタイ的で興味を引かれたという点にある。
タイでは、寺に預けられる子どもというのがいる。この本は、その一人であった筆者が、当時を振り返り、寺での生活やそこに暮らす人々のことについて記したエッセイである。
バンコクにあるその寺には、百人ほどの子どもが暮らし、幼い子よりもむしろ、仕事を持っていたり大学に通っていたりするくらいの年代がほとんど。多くは貧困家庭の出である。
家からの仕送りが途絶えると、子どもたちは質屋に走る。しかしそれも、店を出たときに知り合い(筆者は言う「特に女性の知り合い」)に会うと恥ずかしいので、わざわざ遠方まで出かける。
逼迫したある時、筆者はバスケットボールの大会で得た金メダルを持ち込む。実際に「金でできたメダル」だと思い込んでいたため、意気揚々と。ところが、「そんな金メッキのメダルなんて受け取れないよ」と、にべもなく断られてしまう。寺への帰路、うつむきながら一人心につぶやく「僕にとって一番大事な物だけど、他人にとっては何の価値もないんだ……」
両親がそれぞれに愛人を作り、見捨てられたチュワン。貧困にある彼は、ムエタイ選手として活躍することで大金を望むものの、「托鉢の鉢に残ったご飯しか食べないオレが、鶏肉も食べ、牛乳も飲んでる相手にかないっこない」。しかもさらには、交通事故に遭遇して片目を失ってしまう。「もっともかわいそうな人」として登場するエピソード。
そもそも寺に住もうと誘ってくれたのは、ヌワイだった。当初、彼と同じ部屋に住んでいたが、新学期になって人の出入りがあり、筆者は一人の部屋に移る。そこにあったベッドは、おそらくはかつては棺だった木材でできているが、とても上手に作られていた。部屋そのものは100年以上使われていただろうし、そのベッドにしても、何代にもわたって寺の子が寝起きしていたことが明らかだった。
ある日、内務省の高官が家族と共に参拝に訪れた。ふと筆者の部屋を覗き込んだ彼は、そのベッドに感激の声を上げる。20年前の彼もまた、このベッドで寝起きしていたのだ。思い出の品としてそれを持ち帰る代わりに、新品のベッドをくれた。それは、他の子ども一同からうらやみさえも得る。
ヌワイがタマサート大で法学を修め、寺を出た後も、筆者は何年かかっても卒業できず、結局仕事を転々とすることになる。後年ヌワイの言う「ほら、あのベッドの寝心地が良すぎたから勉強に身が入らなかったんだろう」という言葉に、今となっては説得力を感じている。
そもそもこの本は、チュラ大の日本語学科の学生の一人からもらったものだ。かなり古い本で、ページは全体的に茶色く褪せている。表紙裏に、彼女からのメッセージが書き込まれている。その中に、日本語で「この本は賞をもらったし」とあり、続けてタイ語の括弧書きで「確か、何かの文学賞をもらったと思うんだけど、何かは忘れちゃった」と付記されている。
本のやり取りや貸し借りができる友達というのは、一口に友達と言っても、考えてみればより大切な部類にいるような気がする。あくまで、僕にとって、に過ぎないが。
彼女から贈られたのは、もう一冊ある。「おじいさんおばあさんがまだ子どもだったころ」という題で、同じく彼女からのメッセージ。「これを読むともっとタイのことを知ると思います」
週明けには、新たにこの一冊をカバンに入れて出かけることにしよう。未知なる国の未知なる文化。異邦人として、それはあまりに硬質で巨大な存在に思える。まるで、暗い宇宙に浮かぶ球体の一つのようだ。そこでは重力があまりに大きく、僕は地表にへばりついて身動きを失った一人に過ぎないとさえ思う。でも、せめて表層を自分の手で薄く薄く掘り続け、その欠片の一つずつを確実に自分に取り込んでみたい。帰納も演繹も不可能であるにしても、爪にたまった土は少なくとも僕の側にある。
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