キャンパスの時

 大学のキャンパスには何があるだろう。校舎、学生、教師、図書館、食堂、グラウンド……。でも、これだけだったら例えば高校にだってある。だが、その間には明確な差異が存在する。例えば、高校の構内でデートすることはあまりないだろうが(むしろ彼らは街中に出て行くことを志向する)、大学の中を手をつないで歩くカップルという情景には心温まるものがある。それを可能にする何かがキャンパスにはある。
 時計台というのはどうだろう。普遍的とは言えないかもしれないが、かと言ってそれほど特殊なわけでもない。僕の通った大学にも一つあった。毎時の鐘は総長が鳴らすだとか、日が暮れると文字盤の12の数字が順に点灯するらしいだのと言われていた。
 1回生の冬、確かクリスマスの二日前に、改装のために鉄骨で足場が組まれていたそれに上ったことがある。サークルのボックスでぶらぶらしていたら、上回生二人から誘われた。おもしろそうだと思って着いていった。
 30メートル以上の高さがあった。真冬の夜の鉄骨が、痛いほどに手に冷たかった。登頂記念に写真を撮り、その二人がしこしことゴミ袋から作っていた鯉のぼりをてっぺんにくくりつけてきた。横腹には、うろこの中に「メリークリスマス」と大書されていた。手土産に、工事の資材として置かれていたタイルを何枚か失敬してきた。

 今住んでいるアパートは、シーナカリンウィロート大学に隣接している。高等教育に従事する教員養成の学校を前身とする、国立の総合大学である。
 現在のその名称は、1974年に現国王ラーマ9世から賜ったものである。「シーナカリン」は皇太后の名。「ウィロート」は「壮大、発展」を意味するサンスクリット語に由来する。国の繁栄に寄与する大学、という意味が込められている。右肩上がりのグラフが意匠された校章も、発展や進歩を表している。
 最寄のBTSの駅から家までは、アソーク通りを北上する38系統のバスに乗るのがもっとも手軽で安上がりなのだが、夕方は帰宅の車で大変に渋滞するので、アソークを越えた次の小路の入り口でバイクタクシーに乗る。伝える行き先は「まっすぐシーナカリン大まで」
 正門を入ってすぐ右手に事務棟。11号館・社会学部、12号館・教育学部が左手に建つ。ベンチで喋っているグループがある。何かの工作をしている人がいる(立て看やアジビラのようには見えない)。青々と芝生が茂ったグラウンドでサッカーボールを追いかけていたり、ジョギングする人もある。それから、バンコクらしく野良犬がやけに多いが、日のある内はおとなしくだらだらとしている。
 一日の内のたった5分、僕はこうやってキャンパスを歩く。だけどこの時間は、帰宅のための歩行ではなく、むしろ散策と呼ぶにふさわしい、愉しみの5分である。漂う特有の雰囲気は、自由に裏打ちされた、世間とは少しだけ違う時間の流れ方なのではないかと思う。
 大学を卒業して既に5年も経つ僕が、そこにノスタルジーを見出していることは否めない。大学時代にやり残したことをまだ探しているのかもしれない。それは真摯な学問ではなく、おそらくはキャンパスを二人で歩くことの方に属することではないかと思う。
 テニスコートの手前、小さな売店の横の門をくぐり抜けると我が家である。
 賑やかな声を上げていた学生たちが去った夜、一人家で静かにしていると、30分ごとに鐘の音が闇の向こうから届く。この大学にも、さほど大きくはないけれど時計台がある。


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