猫はごめん

 アパートに猫がいる。茶色に黒斑と、灰色のとの二匹。いずれもほっそりとしている。たまに、扉を開けてすぐの階段にくるりと座っていたり、庇の下に寝っ転がっていたりする。
 動物は嫌いじゃないので、これが犬であれば、頭を撫でるくらいはするかもしれない。だけど、いくら毛並みが良くて、人になついていて、愛くるしい瞳で見上げてきたところで、猫である以上は絶対に手を触れない。むしろ足にまとわりつこうとすり寄ってきたら、ぎょっとして後ずさりする。
 以前、病院でアレルゲンを調べる血液検査を受けたことがある。通常の範囲を大きく超えた数値だったのが、ハウスダストと猫の毛だった。つまり僕の身体は、この二種類の物体が侵入すると、必要以上に抗おうと反応する。
 実際、その後幾度か猫を触ってしまい、直後に全身の痒みに襲われたことがある。以来、極端なまでに避けるようにしている。
 生まれてこの方、一戸建てに住んだことがないので、犬や猫を飼ったことがない。ペットにまつわる二次的な見聞から、子どもの頃は、頼れる友達のように付き合うことのできる賢い犬に憧れていた。
 だが、今改めて考えてみると、猫の方がよいような気がする。まったく実体験に基づかない想像なのだが、ふらふらと気ままに出かけたり、あまり主人を重要視しない生き方が性に合う気がする。それくらい適当にやってくれた方が、お互い様に気楽なんじゃないだろうか。
 たまにそれぞれの事情が一致したら、「ああ、これはこれは」「にゃあ、これはこれは」という感じの付き合い方。
 「どうも雨季に入ったみたいだけど、最近どう?」と、僕。
 「いや、まあ、取り立ててにゃんともない日々だけど。いずれにせよ涼しくて過ごしやすいよ。にゃんせ、こっちは年中毛皮だからね」と、そいつ。
 そして、皿に注いだ牛乳をぺちゃぺちゃ美味そうになめるそいつを見ながら、僕はビールを飲んでみたり。つまみにウルメ干しなんか食べていたら、一かけ与えたりもする。
 ただ、実際に自分が責任を持って飼うという段になると、当然ながら色濃い現実の側面を無視するわけにはいかない。毎日の餌の面倒をみなければならないし、ウルメ干しなんかやったら、塩気がきつすぎて健康を害するかもしれない。雌ならば次の世代をどうするかも検討しなければならない。病気に罹ることや万一のことも起こり得る。それを受け容れられるほどに欲求しているわけではない。手を触れることができない時点で、そもそも不可能な話しである。
 その意味で、この二匹の猫は、とても都合がよい。よく手入れのされた緑なす庭や、休日にビールを片手に読書するためのプールと同じく、このアパートに暮らす人のための共有の存在であると勝手に解釈して、僕は「うちの猫」呼ばわりしている。
 餌もやらない、喉も撫でない。でも、同じ敷地に住んでいる。出会ったときに周りに誰もいないと、僕の方から「にゃあ」と声をかけてみたりする。
 だけど、先方から返答されたことはまだない。たぶん向こうでは僕のことを、にゃんとも思ってないのであろう。


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