タイの話し
実用性を求めて読書をすることは極めて稀であるのだが、今夜読んだ一冊は完全にその追求のためだった。「ネクタイの数学」(トマス・フィンク、ヨン・マオ著・新潮OH!文庫)。どこかの書評でしばらく前に目にして少し興味を抱いていた。紀伊国屋の文庫コーナーで実際にぱらぱらとめくり、欲しくなった。が、輸入品としてのその値段設定からそのまま書棚に戻し、代わりに日本から来る友達に日本酒と一緒に持ってきてもらった。
これは、二人の物理学者が、ネクタイの結び方について示した本である。
第一章では歴史について概観されている。例えば、首に巻く布としてもっとも古い例は始皇帝の陵墓に副葬された兵士の像に見られるだとか、かのウィンザーノットはウィンザー公の発明でもなければ、公が用いたことすらないだとか、現在見られるような生地の正バイアスの裁断は大いなる技術革新であり、これにより今日のネクタイが登場したのだ、とか。
第二章に進むと、著者の本来の職業意識が如何なく発揮され、結び目について科学的にアプローチされている。「トポロジー」「結び目理論」「ランダムウォーク」などの用語が並び、さらに巻末の付録ではこれに関して数式を用いて極めて詳細かつ明快に考察されている。いや、されているのだろう。はっきり言って、僕はまったくのお手上げだった。ちなみに、訳者も理学博士である。この辺りは何のことかさっぱり理解できないので、潔く読み飛ばす。
そして、実に全ページの半分以上を割いて記述されている第三章が、結び方紹介である。数式によって導かれた85通りが解説されている。
最初にネクタイの結び方なるものを教えてもらったのは、父親によってであった。たぶん、大学に入る前後のことだったのではないかと思う。彼自身は、今から思うとさほど毎日の結び方にバリエーションを持たせていたわけではないのだが(好みが頑として確立されていたのかもしれない)、いくつかの方法を伝授してくれた。ただ、教えられる側の僕にとって、当時はネクタイを締めることはかなりな非日常に属することで、残念なことにその大方を忘れてしまった。
そんなわけで結局のところ、普段最もよく使うのは「フォアインハンド」になった。向かって左側に結び目を少し傾けるようにして非対称に仕立て、下部をややきつめに締め、そこにできる細くて長いくぼみ(あるいは折り目と言ってもよいほどに)を自然に下の方まで流すようにしている。こうやって記述すると大仰だが、この本にもあるように「現在もっとも普及しているノットであ」り、「とにかく結び方が簡単なので」ある。
それはそれで好きなのだが、それでも物足りなさはいつも感じていた。世界に見かける様々な結び目に対し、憧れさえ抱いていた。
首元にぶら下がる、たかだか握り拳一つにも満たない領域の飾り方に過ぎず、しかも興味のない人にとっては、はっきり言って大した差異ですらないと思う。ただ、何はともあれ、自分の好みが存在し、そこにぴしっと決まっていると自ずと快く感じられるのである。背筋がすっと伸び、会話に余裕が生まれ、多少のことにはにっこりと微笑んでいられるような気すらする。お洒落という言葉を用いるほど決して洒落た人間ではないけれど、そもそも身を飾ることの大きな意義はそういう辺りにあろう。
ささやかな趣味として、襟の幅がさほど広くないシャツ、あるいはボタンダウンのシャツに組み合わせた細身の結び目を美しいと思う。求めるのは重量感や豪華さではない。一人鏡に向かってああでもない、こうでもないと試行錯誤。こういう趣味の探索はものすごく楽しくて、気付いたら午前の3時を回っていた。
中で、気に入ったのが「ヴィクトリア」と、その方法の最後の一手順だけが異なる「プリンス・アルバート」。特に後者は、仕上げの段階で、二巻した部分の両方に大剣を通すため、できあがった結び目の下の方に一巻めがちらりとのぞき、シンプルでありながら遊び心も醸し出される。
現代のネクタイの直接の起源は、三十年戦争でクロアチア兵が首に巻いていた布(クラヴァット)だそうだ。そして、彼らと共に戦ったフランス人がそれを真似し、本国へ伝わる。ルイ14世時代にフランスの宮廷で過ごしたチャールズ2世が王政復古によりイギリス本国へ戻る。「クラヴァットはそれから十年のうちに、イギリス本土やアメリカの植民地にとけ込んでゆく」とある。
ネクタイとはしかし、基本的に、そういう高緯度地域における装いなのである。そもそもは防寒のためであるとする説も紹介されていたくらいだ。色々と方法を覚えたとしても、この国にあっては、残念ながら実際に身に纏いたいものではない。いかにここがタイランドであったとしても。
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