タイで海老を釣る
結果から述べると、しかし、僕はタイで海老を釣ることはできなかった。
事の発端はこうだ。大学の後輩が一人、バンコクに遊びに来ることになった。既に今回で5度目の来タイになる男だ。
行こう行こうと思いつつ、なんだかずっと実行に移さないままだった海老釣りに、彼を案内するという名目で、僕が遊ぶことを主眼に出かけようと目論んだ。
地下鉄、タイ文化センター駅3番出口下車。視線を上げると、見まごう方なき海老の看板がある。その圧倒的な巨大さや、微妙な色の褪せ方、そして必要以上に精緻に描かれた細部は、まるで特撮映画に出てくる海老の怪獣を連想させるほどだった。
一帯は、複合的なエンターテインメント施設になっているようで、他にもレストラン、ビアガーデン、あるいは一番奥には、オカマショーで有名なラチャダキャバレーも(大型観光バスで、どんどんと人が運ばれてきていた)。
目当ての釣り堀は入って左手。化粧の派手な元気なおばさんが、僕らの姿を見つけるや「えび?」と日本語で聞いてくる。店員が竿を持ってきて、水深を測り、浮きの位置を調整し、餌を針に付けて渡してくれる。飲み物はと聞かれ、ビールを選ぶ。
実に金曜日の午後3時過ぎ。広い釣り堀を囲む客は、我々二人のみである。氷を入れたシンハビールを傍らに、じっと浮きをみつめる。1時間が経過する。何の当たりもない。次第に口数も減ってくる。客は相変わらず僕らだけだ。
見かねたのだろうか、店員が一人、海老を手づかみして我々のびくに入れてくれた。「いや、違うんだ。自分たちで釣らなければならないんだ」と必死な気持ちになる。
ジーンズの短パンから、すらりとした足をのぞかせた若い女性が一人、僕らの向かいにやって来た。何たることか、ものの3分も経たない内に、彼女は水中から見事に海老を一匹釣り上げるではないか。
本当に釣れるんだ、ということが分かった我々は俄然色めき立つ。すると、彼の針にもかかった。
当初は「なんでこんな所に連れてきたんだ」と不満の表情を隠さなかった彼が、海老を手許に満面の笑みを浮かべている。僕も安堵する。
さらに彼はまた釣り上げる。そうこうしている内にスタートして2時間ばかり。もう一人の友達も合流。そして、彼女も開始早々に収穫あり。
もちろん、バンコクに来た友達が楽しんでくれれば、それは嬉しい。だが、それ以前に、僕が楽しくなければならない。なぜ、僕だけが坊主のままなのだ。周囲から取り残され、嫉妬と焦燥の時間が流れていく。
と、来た。浮きがすすっと沈む。慌てず、しばらくは食わせておく。「ほら、カメラを準備して!」と声を上げる。
釣り上げた瞬間のシャッターチャンスを逃すなよ、と願いつつ、ゆっくりと竿を上げる。だいじょうぶだ、まだ食らいついている。そして手応えが……失われた。
すると彼が言う。「決定的瞬間を撮りました!」
デジカメのモニタに写し出されたのは、がっくりと肩を落とし、うなだれる僕の後ろ姿だった。(それはまさに_| ̄|○であった)
結局3時間ばかり釣り糸を垂れ、僕の釣果はゼロ。他人の収穫を店員に渡し、炭火焼きにしてもらう。
今回、彼の日程はわずか三泊四日という限られた時間である。色々と行きたい場所、やりたいこともあるだろう。だが、僕は敢えてこう言わざるをえない。
「もう一回、海老、行かへん?」
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