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僕がウェブ上で文章を定期的に読んでいた方が二人、ここ2ヶ月ばかりの間に相次ぐように亡くなった。そのどちらとも面識があるわけではなかった。だから、僕にとって現実的には、彼らの新しい文章を読むことがなくなったというだけのことであるはずだった。
だが、それだけではすまなかった。それは、死という完全に揺るぎのない事実によるのだと思ったら、一瞬、息が詰まった。
心の中の突風が過ぎ去った直後、まだその衝撃の余波を抱えながらも僕が得たのは、自分は生きているのだ、という実感だった。
彼らは共にプロの文章書きだった。一人は作家で、一人は新聞記者だった。方や、僕はささやかに個人的な雑文書きに過ぎない。文章を共通項としてくくってしまうのはあからさまにおこがましいが、生の実感から導かれたのは、「僕は書くことができるのだ」という、強固な喜びだった。人の死に際して喜びとは何ごとか、と、自分でも思うが、他者の死のもたらす重たい打撃と共存して、胸の奥で発せられた温かな震えが全身を包んだことは、紛れもない事実である。
例えば、風邪を引いて収まった後で、我々はこう実感する。健康であることは幸せなのだ、と。喉も痛まない、熱もない、鼻水もこぼれない。風邪という状態を経た直後には、そうでないことは有り難いのだ、と思うことができる。僕らはそういうことを繰り返しながら生きているとも言える。たまに不幸があり、それが解消されたことで、日々の幸福を改めて味わう。
だが、生命に関しては、二度と回復は不可能である。命が果ててから「生きていた頃はよかった」と思い直しても、それは無為なことである。それ以前に、思い直すような余裕が残されるのかどうか、僕は知らない。死んでしまっては、遅いのだ。だから、できることならば、常の日々において、幸福を認識し直す主体的な作業が必要である。
かつて「独りであること、未熟であること。これが私の二十歳の原点である。」と日記に書き留めた一人の学生がいた。彼女はまた、そこにとても素敵な詩を書いた。
「旅に出よう/テントとシュラフの入った/ザックをしょい/ポケットには/一箱の煙草と笛をもち/旅に出よう」で始まる一編。一言一句を全て記憶しているわけではないが、そこに漂うくっきりと清冽で深く刻み込む感覚は、折に触れて思い返すことがある。今回もまた、山奥の静かで冷たい空気に全身が包まれるような感覚を思い出した。
永井明と竹信悦夫の文章はもう更新されない。そしてまた、1969年、京都にまだ市電が走っていた時代の6月24日以降、高野悦子の日記の日付も先に進むことはない。彼女は永遠に原点を見出した二十歳の時の中にいる。
改めてこう思う。僕は生きている、と。そして、どのような物であれ文章を書き続けることができる。
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