マークに会った

 マークに会った。木曜の夕方、BTSアソーク駅、サイアム方面行きのプラットフォーム。
 ふっと目が合って、まず向こうが、いつもの人なつっこい笑顔で「クン・ケイじゃないか!」。すかさず僕も「クン・マーク!」(「クン」は名前の前につける敬称)
 バンコクは狭い。と言うより、僕の行動範囲が狭い。だから、ひょんなところでよく知り合いに出くわす。ただ、今回が普通とは少し違っていたのは、彼は2年近く前に、もう国に帰っていたはずだったということだ。
 チュラ大のタイ語のコースで一緒だった。一年間の最後のコースまで終えた6人の内の一人だった。たまたま他の5人は日本人で、彼はオーストラリア政府からの派遣だった。兵士を職業とする人と出会ったのは、今のところ彼が最初で最後だ。
 タイとオーストラリアの軍隊間で、交換留学の制度があるのだそうだ。歳の頃は30代の後半。何で学習の必要があるのだろう、というほどのタイ語を操った。関係代名詞の「スン」をうまく使って、きちっとした複文もすらすら口から出てきていた。クラスメートとのパーティー(飲み会)の席で、年上の奥さんと英語で話しているのを見ると、おかしな気分になるほどだった。
 軽く混雑した夕方の車内で、少し興奮しながら話をする。
 「どうしてまた?」「年に何度か、復習目的でタイに送られるんだ」
 「向こうでタイ語を使うことってあるの?」「いや、それがさっぱりなんだけど」
 「今回も奥さんと?」「ううん、一人で」
 「君は働いているのかい?」「まあ、とりあえずね。この国の暮らしが楽しいから、ビザが欲しくて」
 「ウェブサイトは続けてる?」「もちろん。それに、今は日本の新聞にタイ料理のコラムも書いてる」
 「どこに行くの?」「サイアムスクエアに。クン・ケイは?」「伊勢丹までちょっと買い物」
 傍から見ると、日本人とオーストラリア人という取り合わせが、タイ語でコミュニケートしている図はおかしなものだっただろう。
 「じゃあ、元気で。奥さんによろしくね」と、最後のフレーズだけうまくタイ語にならなくて、電車の降り際にとっさに英語が出た。あのチュラの後半戦を共に乗り切った(彼にとっては余裕だったかもしれない)、言うなれば戦友と、アソークからチットロムまでという短い間だけど、久しぶりに言葉を交わしたことが、なんだかとても嬉しかった。
 2年前、圧倒的にマークの方が能力は高かった。だけど、今回、僕は軽い驚きと共に心の内で思ったのは、「オレの方が上手いやんか、今は」
 これもまた、ちょっとだけ嬉しかった。    


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