欲望は際限なく

 「皆さんはこうやって外国で暮らしを始めたわけですが、母国での生活と比べて、特に今一番欲しいと思うものはなんですか?」
 チュラ大に学んだ初期の頃、こういう質問が先生からあった。クラスメートが何を答えたかもう覚えていないけれど、自分の返答は明確に記憶に残っている。それは、そのとき以降、つい先日までずっと「欲しいもの」であり続けた。
 「先生、僕はインターネットの高速回線です」
 2002年の夏前まで暮らしていた西宮の家では、CATVで2Mbpsの回線を使っていた(ADSLがここまで華々しく普及する以前の時代のことだ)。
 ところが、こちらに来て以来、56Kのダイアルアップな上、当時住んでいたマンションの電話は交換機を通すタイプで、30分に一度強制的に切断された。
 ひとたび進歩を味わってしまうと、なかなか元の世界には戻れない。新しいパソコンをを買ってしまえば、もう旧型機の処理の遅さには耐えられない。iPodの手軽さは、ウォークマンの衝撃をたやすく忘れさせる。
 それがもしも、何かの具体的な物であるならば、日本から仕入れることは可能だ。友達が来るたびに、酒や本などの運び屋をお願いしているように、あるいは自分が日本に戻るたびに身の回りの品(服やちょっとした小物類)を調達するように、タイにはとりあえずなくても、なんとか対処できる。
 だけど、回線を持ってくるわけにはいかない。
 インフラとしての先端技術という意味合いでは、確かに、携帯電話にも物足りなさがあるのだが、もともと多用する方ではないので、こちらにはあまりストレスを感じることはなかった。
 だが、インターネットには、ずいぶんと焦らされた。
 タイでのADSLは、これまでもないわけではなかったし、どちらかと言うと、このタイミングで始めた僕は、時代の先端にいる方では決してない。結局、ただ面倒くさがりだったというだけのことだ。
 とりあえず、様子見も兼ねて契約したtrueという電話会社の一月当たりの料金は、1Mで890バーツ(約2,400円)。ちなみに、最上位でも4Mで2,200バーツ(約5,900円)。
 日本と比較すると、概ねタイの物価には格安感がある。ただし、何もかもすべからく、というわけではない。ここに挙げたインターネット接続料金は一つの反例になる。
 例えば、Yahoo! BBは50Mで4,122円。1Kbps当たりの価格を計算してみると、0.081円/Kbps(Yahoo! BB:50M)、2.344円/Kbps(true:1M)。30倍近い差! 自分で計算してみて、その格差に驚いた。
 ただ、いずれにせよ、「日本の方が安いやないか」と地団駄踏んでみたところで、やはりどうなることでもないので、さっぱり気持ちよく久々の高速(?)に満足して暮らすことにする。
 欲しいものを手に入れた次に僕がすることはただ一つ。コレである。ちょうど日本を出る前後で、途中までしか見られなかったのだ。とりあえずサンプル分の「ユーコン川160キロ」を懐かしく見てみることにする。
 あー、だめだ、だめだ。全然だ。所詮は1Mか。
 「今欲しいのは、画像が途切れずに見られる程度の高速回線です!」    


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