路上で髭を抜く
中華街の中心、ヤワラート通り。その一本北を走るチャルンクルン通り。履きつぶしたスニーカーや、何十年も昔の雑誌や、自動車のハンドルや、テレビのリモコンや、とにかく、どういう買い手がつくのか想像することすら難しい物を、地面に広げたわずか数十センチ四方で商う人々がずらりと並ぶ。
その一帯に、あるサービスを商う女性が並ぶ。用いる道具は、糸。使うのは、手と口。
客は、彼女らと向き合うようにして20センチほどの低い木製の椅子に腰掛け、子どもが家で散髪するようなビニールのシートを上半身にかぶる。プラスティックのカチューシャで前髪をぐっと上げられ、目を閉じる。
彼女は、白い粉を顔じゅうに塗りつける。そして、糸の一端を口にくわえ、人差し指と親指とでくるっと三角形を形作り、もう一端を片方の手に。
三角形の二辺を重なるまで近づけ顔に沿わせて走らせる。すると、糸が毛をつかみ、引っこ抜く。
中華風路上脱毛エステ。
男性もできるということは、聞いていた。挑戦。
右側の額の辺りから始まる。おや、そんなにあったのかなというくらい、ぷちぷちっと小気味よいリズムで抜かれていく。ぷつっ、ぷつつっ、糸が軽快に走る。
頬の辺りに、わずかだけ太いのが生えている。ぶちっ。耳に入るトーンが変わる。しかも、痛い。でも、まだ我慢できる。
「口の上もやってみる?」と糸を操る主が訊く。せっかくだからと軽くうなずく。
ぶちっ、ぶち、ぶちっ、ぶつつっ。痛い!
まるで、神話の巨人が、渾身の力で大木を地面から引き抜いているみたいだ。雨が降ると、その跡に池ができそうだ。
思わず涙が一滴、つつっと伝う。すかさず、ティッシュで拭いてくれる。そして言う。「顎の方は、また今度にした方がよさそうね」 大人しく同意。
最後に、何やら金属の細い棒で、鼻の頭をぐりぐりとこすり、角栓をこそげ取る。つるつるになった。
目を開いて、まとったビニールシートに目をやると、根元から引っ張り出された5ミリほどの髭が散らばっている。ただの糸なのに、ずいぶんと強力なものだ。確かに、肌はすべすべになった。
「おいくら?」
「男性は200バーツ。女性は100だけど」
「今夜はちょっとひりひりするかもしれないよ。冷たい水で冷やすといい」とのアドバイス。
顔に水をはたいて鏡をのぞくと、なんだか色が白くなった上、一回り小さくなったようにも見える。女性だと化粧の乗りも断然良くなるそうだ。
かつて一度だけ、1ヶ月近くの旅行の間に、髭をたくわえようとして剃らずにいたことがある。密度濃く整わず、さながら灌木が散見されるサバンナのような結果にしかならなかった。
普段は朝のシャワーの際に、シェービングジェルを塗り、カミソリをあてている。髭を剃るその手間から、これで解放されるだろうか。
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