季節の移ろい

 11月半ばの日曜日の夕方。寒季ならではの、くっきりと高い空。雲はひとつもない。
 ちょうど、闇が昼の光を覆い始め、空の青みが濃度を増してきた。建物の外壁を照らす照明や、早々と登場した真っ白なクリスマスツリーや、斜め上方を走るBTSの窓の明かりなどが、柔らかく自己主張を始める。
 バンコクが、一番きれいな時間帯。
 エンポリアム・デパートの前に新しくできた、パリ発のケーキ屋「ル・ノートル」の屋外の席で、薄く切ったスターフルーツや、ラズベリーなんかが乗ったサヴァランとブラックコーヒー。
 目の前の席に腰掛けた友人は、チョコレートのケーキをフォークで口に運ぶ。そして、ふと何気なく、言葉を発した。それは本当に自然な成り行きだった。あまりに細かな雨だから、降り始めたことにしばらく気がつかないように、そっと。
 「昨夜、ジーが電話してきたの。『寒季になったね』って」
 それまでのテーブルに漂っていた心地よい沈黙のバランスが、かすかに揺らぐ。夜が度合いを深めていくのと同じくらいのゆっくりとした速さで、言葉が耳を通り、鼓膜を震わす。
 僕は呆けたように空を見上げていた視線を地上に戻す。
 「私たちにとって、寒季というのは、他の季節とはちょっと意味合いが違うの。なんて言うのかな、心躍るんだけど、寂しさも少しだけ混じってて。雨季に入ったときもちょっとうれしい。でも、これほどじゃない。暑季だと、絶対にこういう風には思わない。寒季は、特別。
 ジーはそのことを言うためだけに電話をかけてきたの。誰かに伝えたかったのだと思う」
 「分かるような気がする。僕たちにもそういうのってある。日本語だと、『ヒトコイシイ』って言うんだ」
 「どういう意味?」
 「キットゥン・バーン・コン、かな。特定の誰ってわけではなくて、誰か。ふいに誰かを求めるそういう気持ちになって、話がしたくなったり、あるいは今そばにいたらいいのにと思ったりするような感情」
 「キットゥン・クライ・バーン・コン、ということ?」
 「そう、まさにその感じ」
 「日本には四季がある」と、まるで自分の手柄のように、僕はちょっと誇らしげに続ける。「新しい季節に入るたびにそういうことを感じるんだ。夏には夏の、冬には冬の、そして春や秋にはよりいっそう、他とは代え難い感情が、いつも決まって心を捉える。そして、誰かのことが心に浮かぶ」
 それぞれの季節が固有のやり方で、昨日までとは違うことを、はっきりと知らしめる。空気の匂いや、空の色を通して。
 それは、この街にも、やはり存在している。
 短期的な旅行者だった時代、バンコクというのはいつでも暑い所だと思っていた。住んでみて、季節が変化することを知った。雨が降ったり、何ヶ月も一滴も降らなかったり、ものすごく蒸し暑かったり、少しだけ涼しくなったりする。
 そして、やっぱりその移ろいに心を震わせる人がいる。


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