旅される側
130年ばかり時を遡った1878年、明治11年。
この年の6月、横浜港に一人のイギリス人女性が降り立った。名は、イザベラ・ルーシー・バード。新たに「東京」と呼ばれるようになった首都から、北陸、東北を通り、北海道までを旅した。
その様子は、文章として記録に残されている。「Unbeaten Tracks in Japan」という題で、初版は1880年。現在、翻訳が平凡社ライブラリーから「日本奥地紀行」として出版されている。
内容は大きく二つに区切ることができる。函館までと、アイヌの暮らすそれ以北の地。
後者は、僕にとってもむしろ異国の方に近いが、前者は時代差はあるにせよ、はっきりと日本的である。旅行記でありながら、興味深いのはむしろ、外国人の視点を介在して読む日本の姿の方だった。
例えば、東照宮や庭園の美しさへの感嘆は、僕は日本人として一義的に理解する。一方、地方ではまだ多くの人が半裸に近い格好で生活をしていることを知ると、彼女と同じ驚きに包まれる。
読み進めながら、僕はさらに二つの視点を得たことに気づく。
たいていの書物と同じく、筆者の側に立つのが一つ。
そして、自分が書かれる側に身を置くことがもう一つ。旅行される側、観察される側の日本人となること。
書かれる側として、彼女の「文化」と「文明」の二者を明確に区別しようという意識が気持ちよい。
各地の宿でたびたび触れていたように、障子(一枚の紙でしかない)で仕切られた部屋は、鍵のかかる個室を生活空間とする彼女にとっては、心もとない。
個人的な感慨としてそのことをどう捉えるかはまた別の問題だが、これ自身は文化の違いであって、総体的に見れば、善し悪しに二分される性質のものではない。
僕は、障子で仕切られた部屋を身近な物として捉えうる日本人として、宿屋にいる彼女がそのことに戸惑いを表しながらも、非難の文脈で捉えていないことに安堵を抱く。
しかも、好奇心から穴を開けられた障子の向こうからいくつもの目がのぞいているという部分には、僕は恥ずかしさを覚えるが、鍵もないのに盗難に気をつける必要がなかったという賞賛には、誇らしさを感じる。
その一方で、部屋に蚤が出たり、不衛生のために病気を患う人が多い状況に眉をしかめるのは、普遍的だと言ってよいだろう。文明化した国から訪れた人が、そのことを指摘するのは共感しやすい。
仮に現在の僕が、そのような状態の日本を旅行したとしたら、やはり同じようなことを思うだろう。
130年という時間は、現代に直結している部分もありながら、同時に、ずいぶんと異なった様相を持った離れた時間でもある。
イザベラの目には、あくまで「外国としての日本」として一元的に捉えられるが、僕にしてみれば、差異のある両者がせめぎあいながら織りなされる描写の運びがおもしろかった。
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