湯葉を育てる
学生時代、下宿に友達が集まってはよく鍋物をした。参加者が各々で調理すればよいし、準備が簡単、洗い物は鍋と取り皿くらいと、楽なことづくめである。
若い力というのは、今から考えるとすさまじいもので、たらふく食べたと思っても、時間と共にまた食欲がわいてくる。夜中の2時まで開いているスーパーが自転車で5分のところにあったので、追加の食料調達には事欠かなかった。
とは言え、時期は限られた。冷たい風が吹くようになると、「そろそろ今年も……」と、誰からともなく言い出し、逆に桜が咲く時期になると、花見と称して外に繰り出すようになるので、土鍋はまた棚の奥へしまわれる。
ところが現在、暑い土地に暮らしていて、逆説的に鍋物をする機会が増えた。バンコクでいくら冬を待ってみても詮無き話なので、思い立ったら即、取りかかる。エアコンを「強」にすることだけ忘れずに。
最近、あるウェブサイトで「豆乳鍋」を見かけ、そう言えばそういう手があったかと、さっそく豆乳を買ってきた。
弱火でとろとろ温めていると、次第に表面に薄膜が張る。何度かやっている内に学習してきたのだが、あまり急がないほうがよい。できた一層だけを取ってしまうと、少々食べでがない。そっと泳がすように、中心部へ集めることを何度か繰り返す。
ある程度に成長したら、箸ですくい上げ、わさびと醤油にちょこっとつけて、つるり、はふはふはふ。
第二段階で用いるための肉や野菜を傍らにしたまま、いくら食べてもまったく飽きのこない大豆の甘味に、ちびり、ちびりという感じで湯葉だけをつまみ続ける。
大人数でわいわいやるのが醍醐味だと思っていた鍋物だが、こと豆乳鍋に関しては、「もう引き上げてもいいだろうか。いや、もう少し待って厚くした方が……」と、心中で葛藤する新たな楽しみがある。地味ながら、やはりそれは楽しみだ。
しかしこれは、学生時代のあの状況だったら、ちょっと身が持たないな、と思う。お腹をすかせた集団が、じっと湯葉のできあがりを待って鍋を囲むと、殺伐とした雰囲気さえ漂いかねないだろう。
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