鴨川

 京都を流れる「かもがわ」には、二種類ある。
 「Y」字の左側の線に当たるのが、北区の桟敷ヶ岳を源流とし、雲ヶ畑、上賀茂を通る「賀茂川」。
 一方、三千院の辺りに発し、「Y」字の右側の斜線部分をなすのは高野川。
 この二つが、京阪電車の出町柳駅の真横で合流し、これ以降、一本の流れになると「鴨川」と名を変える。Yの縦棒に当たる。
 Yの三本線が交わる辺りの川原を、デルタと呼ぶ。
 デルタと言えば、そして鴨川と言えば、手ごろな飲み会の場であり、そして大学新入生にとっての通過儀礼の場でもあった。
 僕が2回生になったばかりの春先のこと。サークルの新入生歓迎会の一次会が果てた後、初々しい1回生を引き連れて、「さあ、これから鴨川へ行くぞ!」ということになった。
 彼らは、新しい生活への期待感ではちきれんばかりだった。僕らは僕らで、上回生としての喜びと矜持が、酒と共に体内を駆け巡っていた。僕たちがこの1年間の大学生活で得た素晴らしいものを、今度はこいつらに伝える番だ、という使命感に似た思いさえもあった。何もかもが弾けるように明るく、誰が何を言っても笑い声が起き、そんな自分たちにこの上なく満足していた。
 百万遍の交差点を西に折れ、静かな住宅街を10分も歩けば目的地、のはずだった。
 途上、何を思ったか、僕らは立ち止まり、木立に囲まれた一角に向かって叫び声をあげた。その向こうに建つ施設が、同じ大学の女子寮だと知っての狼藉である。
 そこに住んでいる知り合い数名の名前を大声で連呼した。当然ながら、誰も出てくるわけもなかった。
 さらに、道を挟んだ向かいのマンションのベランダからは、怒気を含んだ声で「うるさい!」と叱られた。こちらは大学生活を謳歌している真っ只中。方や、そのマンションは大手予備校の学生寮だったのだ。
 さて、深夜の鴨川。近くのコンビニで調達した酒を飲み、宴は続く。すると、勢いあまって川に飛び込む者が出てくる。
 と言っても、別に誰が強制するわけでは決してない。そういう雰囲気を持つサークルではないのだ。お調子者が自ら行動し、それを周りが囃したてる、というだけである。
 酒の入ったお調子者の上回生であった僕は、もちろん率先してジャバジャバと飛び込んだ内の一人である。この翌日に、洗濯機から取り出したジーンズには水草がへばりつき、ポケットからは砂が出てきて苦笑したことも思い出される。
 この鴨川をもう少し下り、三条や四条の辺りになってくると独特の景観に出会う。カップルが、等距離を保ちながら、ずらりと川べりに並んでいる。いわゆる「等間隔カップルの法則」である。微笑ましい光景だ。
 春の日だまりに、夏の夕暮れに、あるいは紅葉の東山を向こう正面にして……何を話すでもなく恋人と座っていれば、二人の目にはさぞかし素敵な川の流れと映るに違いない。
 ところが、いくら自分の記憶をほじくり返しても、どうにも出てくる思い出は酒がつきまとうものばかり。
 同じ「鴨川」にも、また二種類あるのだ。

 

「僕らは立ち止まり、木立に囲まれた一角に向かって叫び声をあげた」と、まるで他人事のように書いていますが、記憶を掘り起こすと、始めたのは(たぶん)僕です。当時の女子寮ならびにS台百万遍学生ハイツの住人、そして近隣の皆様、今更ですが、ごめんなさい。

 


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