バンコク新空港

 「黄金ヶ原」という意味の、「スワンナプーム」
 スワンナプーム国際空港。ドンムアンに代わる、バンコクの新空港。
 構想浮上から、実に42年。昨年9月予定だったのに、結局ずるずると一年延びて、ようやく本格開港にこぎつけた。
 先行して既に一日に数便が、国内線、国際線共に飛んでいたものの、本格的スタートは9月28日。19日には、15年ぶりにクーデターが発生したが、開港は予定通りと暫定軍事政権からもアナウンスされていた。
 この地名、アルファベットでは「Suvarnabhumi」と綴るが、これではわけがわからない。普通は「すう゛ぁーなぶふみ」としか読まないだろう。ローマ字解読のために、タイ文字の知識が必要とされる。タイではよくこの手のギャップに出会う。タイ語での綴りに近づけるために、というのは、考え方の一つではあるが、音情報を共有するはずのローマ字なのだから、個人的には賛成しかねる。
 新空港は、市街から東の位置にある。BTSの新線が、マッカサンの辺りから通じる予定になっている。ランナム通りとパヤタイ通りの角には、既にそれを見越して大きな免税店が開店している。だが、現時点では高架鉄道の線路になるべき道路脇には、コンクリートの柱が並んでいるだけだ。とてもタイらしい。
 新空港へ移管されると、ドンムアンはほぼ閉港する。貨物や格安航空会社専用として残すという議論はあったものの、結局具体化までは至らなかった(国会議事堂にしようという、にわかには信じがたいアイディアさえあった)。チャーター機や空軍機の利用が残るのみなので、まったく縁はなさそうだ。
 僕が初めてドンムアン空港に降り立ったのは、1996年7月24日のこと。関空発、ソウルを経由した大韓航空だった。
 以来、バンコクに遊びに来るときも、インドやパキスタン、ヨーロッパへ乗り継ぐための中継地点としても、本当によく利用した。結果的に、日本のどこを差し置いても、今までで一番出入りした空港である。
 つい先週も、木曜深夜の全日空便で成田へ発ち、日曜の夜中にバンコクへ戻ってきた。個人的に、これが最後になった。
 その間、ほぼぴったり10年間。
 ……。
 そこについて、何か感傷的なことが書けるだろうと、あるいは書こうと思った。
 中には、共に手をつないでここに降り立った人もあった。
 泥酔してチェックインロビーのゴミ箱を抱えて嘔吐したことも、乗るはずだった便が丸一日遅延したせいで床に寝たことも、あるいは友人の乗り継ぎを焦るあまりパスポートも持たないのに出国済みの区域に出てしまったことさえある。
 日本からやって来る両親や、多くの友達もドンムアンで迎えた。
 だが、それだけのことに過ぎない。既出、である。新しくほじくりかえそうと思っても、泡沫をいくら集めたところで何にもならない。
 過去を振り返っても、さほど胸が震えない。だからと言って、現時点で何かに捉えられているというわけでもない。
 最近、こういうことが続いている。「何か書けそうだ」と思いつきを得る事象に出会い、そういえば「これに関して過ぎ去った日々にこういうことがあった」と思いがつながる。だけど、その直後に「それだけでは(自分自身の感情の震えが)物足りない」と、すぐに諦める。
 テキストファイルを開く以前の段階で、一瞬心がぐらっと揺れたと思えど、直後に振幅の小ささに、その無益なことをはっきりと知る。
 新空港が開港したどころの騒ぎではない。何かあれば文章化欲がわきおこっていた僕自身にとって、大きな問題だ。    


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