さて、どうだろう

 「学生時代、この街に住んでたんだ」
 「趣があるね。東京とか大阪とはまた違う感じがする」
 「それはそうさ。でも、もう10年前のことだけどね」

 経過した時間が、10年という一つの単位に達していることに驚きを覚える。そもそも、10年という物差しが初めて確たる存在として意識されたのは、中学生か高校生くらいのときだったのではないかと思う。それ以前には、10年も遡ってしまった記憶は幼時の曖昧なものでしかないか、もしくは自分の歴史の中でのマイナス年号となってしまい、意味を為さなかったから。それが今は、その物差しが二つあっても、まだ計り切れないだけの時を経ている。
 鼻腔から吸い込むおだやかな晩秋の空気が、うすぼんやりと積もった埃を取り去り、すっかり忘れていたはずのことまで含めて、細部まで色づいた情景を鮮やかに蘇らせる。今、この場から、一本の物差しの向こうの一端を眺めてみると、その記憶はあまりに鮮明だ。
 しかし、それはもう全てについてではなかった。一度記憶されたはずの物、その後幾度にわたり同じ精密さを持って個人的に再生されてきたはずの物たちも、既にその一部が失われ始めた段階にある。輪郭は鋭さを失い、色合いは褪せてゆく。少しずつだが、確実に、遠ざかっている。

 「京都、ゲストハウス」という語句で検索して見つけた宿は、まったくの偶然ながら、当時のアパートから歩いて5分ほどの所だった。
 同じ坂道を上り、神社の横を通り、細い川に架かった小さな橋を渡る。アパートはそこに同じまま建っていた。103号室の前に立ち、ドアベルを鳴らして「10年前は僕の部屋だったんですよ」と言ってみたいような気もした。
 よく朝食を調達していたパン屋へも足を運んだ。洗濯機を手に入れるまでしばらく利用していたコインランドリーで、洗濯もした。
 月に一度ほど、しかも夜中を過ぎてから無性に食べたくなる中毒性を持ったラーメン屋へ入って、「並、こってり、ニンニク入り」のラーメンと一緒にビールを頼むなんて、学生時代には考えたこともなかった。
 キャンパスの風景、特に全学共通科目を受講していた吉田キャンパスなどは、まったく様変わりしていた。新築の校舎には自動ドアがあったり、休講の連絡や学生の呼び出しが、掲示板から、プラズマディスプレイに進化していたり。中央食堂では「サーモンイクラ丼」を頼んで、「贅沢になったものだ」と、しみじみとした。
 大学のサークルのOB会が、毎年11月の終わりに行われている。ここ2、3年はバンコクにいたこともあって出席していなかったのだが、今年はそろそろ僕らの年代も最後だろうかという思いもあって関空へ飛んだ。別段、制限があるわけでもなんでもないのだが、地理的に遠い所に住んでいたり、社会的に忙しくなってきたり、結婚したり子どもができたりすると、色々と都合のつかないこともあるのだろう。あるいは、そもそも既に大学時代への興味が薄れているのかもしれない。それぞれだ。
 だけど、僕の思いはまだしっかりと残っている。
 開会の挨拶の際、幹事が僕らの入学年次を採り上げてこう言った。「今回、一番年長ですので、どなたか乾杯の音頭をお願いします」と。
 だが、最年長だろうが、数年来顔を会わせていなかろうが、やっぱり昔と同じだ。陽気に大声でしゃべり、はじけるように笑う。
 下の世代と交流しようという意識もあることにはあるのだが、とっかかりになるようなことも見当たらず、それに向こうがそう思っているかどうかも分からないところが怖いので、結果的に既知の人々とのみの交流になる。リユニオン。
 「おもろいもん見したるわ」と、そんな同級生の一人が財布から取りだしたのは学割だった。「年齢欄に『31』ってあるやろ。きゃははははー。まだ学生やねん。南極越冬隊に行ってた間が猶予されてるから、ドクターに在籍はしてんねんけど、もう取られへんかもな。きゃははははー」
 逆に、教える側に立っている後輩もいた。入学当初からかなりエキセントリックだった彼。黒縁の眼鏡をかけ、ネズミ色のジャケットをまとった姿は、その頃のイメージから何ら変わらないものの、今は東京の国立大で数学を教える身である。
 「一回、お前の講義に潜ってみたいねんけど、何せ女子大やからなー」と、周りの男性陣は惜しむ。
 「せやけど、授業なんてどうしてんの? 例えばさ、どうやって話に入るん? 『今日はいい天気ですね』とかって、普通のこと言うんか?」
 「いや、だからさ、それは、できるだけ目を合わせんようにして、いきなり本題に入るようにしてる」
 夜も更け3次会。さらにここから合流する人もいる。百万遍を上がったバーで再会したのは一学年上の一人。
 当時から図抜けて優秀だった。世界観がころっと違うような気がしていた。今は、助教授として工学部に戻ってきている。ただし、僕らの間では、その頭脳に敬意を払いながらも、「酔うと恐ろしい人」というイメージの方がはるかに大きかった。開店したてのカラオケ屋で便器を素手でたたき割ったり、生協食堂の椅子を破壊したり、店を出た瞬間に吐瀉してそこに倒れ込んだり……逸話は限りない。
 「○○さん、飲みましょうよ!」と誘ってみるものの、「いや、もう昔ほどは飲めないから」と、ゆっくりとグラスを傾けていた。相変わらず、その目つきは静謐に鋭い。
 散会して宿に帰ったのは午前3時を過ぎた頃だった。比較的、早い時刻だ。繰り返された思い出にくるまれて、僕は布団の中で幸せな眠りに就いた。
 だが、「秋の週末の京都」と言えば、「宿がない」と同じ意味である。かなり早めに予約にかからないと、どうにもならない。メンバーの中には「朝まで24時間営業の店で適当に時間をつぶす」という比較的まっとうなのから、「別のサークルの集まりに行って、現役の学生の下宿に泊めてもらう」や、「宿なんか最初っから考えもしなかった。寝袋持って来てるから、とりあえずどっかの教室で」まで。寝袋の彼の言うには「京都なんて、オレが今住んでいるところよりずっとあったかい」。そう言えば、こいつは今は青森にいるんだった。

 翌日の午前、レンタルした自転車に乗って、通っていたキャンパスを訪れた。正門からまっすぐに伸びる銀杏並木が、見事に紅葉していた。こんなに綺麗だったんだ、はじめて知ったような気がする。ずっと見ていたはずなのに。
 学園祭の最終日である。道端で、農業系のサークルが「鶏の解体実演」を行いながら、内蔵の煮込みや、チキンカレーなんかを作っていた。じゅうじゅうと焼けている焼き鳥を数串買って熱々を食べた。じんわりと美味かった。

 「少しずつだけど確実に遠ざかっているんだ。ふーん。でも、失った分、今はちゃんとそれ以上のものを得ている?」
 「……うん、だいじょうぶだと思う」
 「今回出会った友達を見たり、10年前を思い出してみたりして、それでも自信ある?」


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